2022/03/11 根岸散歩 03 鶯東会/寛永寺陸橋/鶯谷中央商店会/元三島神社/根岸小学校前歩道橋/庚申塔/上根岸公園

鶯谷駅から離れて北へ進む。




◆鶯東会

商店街♪












寛永寺陸橋

上は環状三号線。
その下は言問い通り。
こちらをくぐって反対側(北側)へ。









鶯谷中央商店会

商店街♪











◆元三島神社



当社はご祭神に大山祇命 ( おおやまつみのみこと ) ・伊邪那岐命( いざなぎのみこと ) を頂き、和足彦命 ( やまとたりひこのみこと )・身島姫命( みしまひめのみこと )・上津姫命 ( かみつひめのみこと )・下津姫命( しもつひめのみこと )を配祀申すものである。
例大祭はご祭神勧請の時にちなみ五月十四日十五日とする。( 正し現在交通事情により五月第二土曜日、日曜日とする。)
三島神社はそもそも第六十二代円融天皇の御代に、日本総鎮守の称号を賜り、明治においては国幣大社に列せられ、四国唯一の大社、大山祇神社をご本社に頂くものである。 当社の由来はご本社大山祇神社のご分霊によるものであり、その源を弘安四年の役に発する。
すなわち弘安四年、勇将河野通有、三島水軍を率いて大山祇神社に必勝の祈を捧げて神恩加護を仰ぎ武功赫々として帰国したところ、夢の中に神の御告げを得て大山祇明神武蔵国勧請の発願を時に、上野山中にあった河野氏の舘にご分霊を鎮座したことに始ったと伝わる。
後、室町の代を通じ社運の隆盛いよいよ募り、江戸の代に入っては徳川家より社領拝領預かるが、慶安三年 ( 1650 ) 三代将軍家光の時、金杉村に移転、ついで宝永六年 ( 1709 ) 社地幕府御用地となるに及び、代替地に浅草小揚町を賜って再び遷座の運びとなる。
しかるに、代々金杉村に住む氏子住民から氏神様も地元遊離は誠に不都合と赤誠こもる訴えが起こり、金杉根岸の村民相寄り協議の末、金杉根岸の地の熊野神社と合祀を図り、これを元三島神社と称し今日に至る。
旧社殿は明治四年の再建であるが、昭和二十年、戦禍で消失以後、昭和二十二年造営するも老朽著しく、よって昭和五十一年四月新たに造営落成したものである。


正岡子規句碑

木槿咲て 繪師の家問ふ 三嶋前」 子規


河津桜

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◆根岸小学校前歩道橋

下は尾竹橋通り。











庚申塔

後の建物は根岸小学校。










◆上根岸公園


オブジェ









続く。