あちこち寄り道しながら道灌山通りを北東へ進む。
明治通りにぶつかったら路地に入り北東へ進む。
新堀村字(にっぽりむらあざ)蛇塚と呼ばれたこの地は、江戸時代は新堀村と谷中本村(やなかほんそん)との入会地(いりいあいち)で、塚は両村の境に位置していた。蛇塚という字名は、この塚に由来する。
文政十一年(1828)成立の江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には「蛇塚 陸田の内にあり」と記されており、昔は田畑の中に祀られていたことが分かる。
現在の碑は、大正の初めに折田長治郎氏によって再建されたもの。蛇塚の名称を後世に残すために建てられたという。「蛇塚弁財天」として祀られている。
◆こばと商店街
商店街♪
中は通らなかった。
◆宮地陸橋
上は明治通り。
こちらをくぐって道路の反対側(北側)へ。
◆蓮田子育地蔵尊
こちらのページでは 宮地六地蔵/蓮田公育地蔵/宮地の道標 となっていた。
宮地六地蔵|荒川区荒川の名所旧跡、蓮田子育地蔵
ここには、地蔵・大日如来などとともに、寛文十二年(1672)8月18日銘をはじめとする青面金剛を刻んだ庚申塔4基が立っている。庚申塚があったところで、本来は六地蔵ではないが、いつのまにか六地蔵とよび慣わされるようになった。
このあたりは、古くから集落が開けていたところである。江戸の末期には、尾久・町屋から宮地を経て坂本(現台東区)へと出る通称江戸道がこの前を通っていた。道行く人に安らぎをあたえる道標にもなっていたことであろう。
蓮田子育地蔵ともよばれ、毎月4の日が縁日で、10月24日にはお十夜(じゅうや)祭が行われている。
続く。