茗荷谷駅南側エリアを散策後ゴール。
この時の散歩は以前この付近を散歩したとき能都かぶる。
2018/07/07 小日向散歩 01 茗荷谷/茗荷坂/拓殖大学/深光寺/滝沢馬琴の墓/茗荷谷/宗四郎稲荷 - ovanの社会科見学
◆拓殖大学
こちらも桜が綺麗だった。
坂上。
「茗荷坂は、茗荷谷より小日向の台へのぼる坂なり云々。」と改撰江戸志にはある。これによると拓殖大学正門前から南西に上る坂をさすことになるが、今日では地下鉄茗荷谷駅方面へ上る坂をもいっている。
茗荷谷をはさんでのことであるので両者とも共通して理解してよいであろう。
さて、茗荷谷の地名については御府内備考に「……むかし、この所へ多く茗荷を作りしゆえの名なり云々。」とある。
自然景観と生活環境にちなんだ坂名の一つといえよう。
◆茗荷谷
このあたりは昭和四十一年四月一日の新住居表示の施行によって小日向の一部となるまでは「茗荷谷町」といっていた。
茗荷谷の名の由来については、このあたり古くから茗荷の産地で、多くの畠で茗荷が栽培されていたことから里俗(りぞく)に呼ばれるようになったものだとだと言われている。
江戸のころにはこの近くに切支丹屋敷や七間屋敷があった。
「御府内備孝」にも「茗荷谷は七間屋敷の北の谷なり、むかしこの所へ多く茗荷を作りしゆへの名なり。今もそのなごりの「めうが」畠すこしのこれり、此辺にはことに広く、その唱へも名高き所なり」とある。
◆林泉寺
以前散歩したときは工事中だった。
人々が願いをかけるとき地蔵尊を縄でしばり願いが叶うと縄をほどくので、しばり地蔵ともいわれた。「江戸砂子」には小日向林泉寺の、しばり地蔵は大変有名であると記されている。
「昔、呉服屋の手代が地蔵さまの前で休み居眠りをしているうちに反物を盗まれてしまった。奉行は石地蔵が怪しいと言って地蔵を荒縄でしばり奉行所に運んだので物見高い見物人が一緒に奉行所内に入ってしまった。許しもなく入った人々に罰として三日以内に反物を持参させた。その中に盗品があり犯人を検挙した。」この「大岡政談」の話しの地蔵尊は現在の葛飾区東水元(南蔵院)にあるが、「縛られ地蔵」として有名になったのもこの頃からと思われる。
◆茗荷谷駅
東京メトロ丸の内線茗荷谷駅。
写真を散り忘れたのでスタートの時と同じ写真。
天気が良くなかったのが残念。
今年も良い桜巡りができた。
まだまだ巡りまーす!