東本願寺を散策後もまだ周辺を散策。
お寺が密集している。
◆東本願寺
東本願寺と朝鮮通信使
朝鮮通信使とは、朝鮮国から日本国に派遣された外交使節団であり、平成二十九年月、「朝鮮通信使に関する記録ーレ世紀~2世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史」が、ユネスコ「世界の記憶」に登録された。
東本願寺は、朝鮮通信使が江戸を訪れた際の宿所として、四回利用された。ただし、当時の建物は、関東大震災で焼失し、 現存していない。
銅鐘(どうしょう)
本銅鐘は、総高302cm、口径165.5cmあり、その大きさは区内随一であり、都内でも有数のものである。東本願寺十三世宣如上人が誌した銘文によれば、寛永七年(1630)に伽藍整備の一環として鋳造されたものである。東本願寺は明暦の大火(1657)以後、現在の地に移転したと伝えられるが、移転に際しで本鐘も移された。
本鐘を制作した鋳物師は明らかでないが、撞座や龍頭、下帯にみられる唐草文の意匠から、近世初期に活躍した長谷川越後守吉家による鋳造と推定される。
本銅鐘は区内に現存する銅鐘の中でも古いものに属する。加えてその大きさからも、近世初期の鋳物師の活動や鋳造技術を知る上で貴重な遺品であることから、平成十五年に台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。
続く。