2022/04/06 浅草散歩 05 西浅草八幡神社/浅草ROX/新仲見世/まるごとにっぽん/浅草六区通り/奥山おまいりまち

国際通りの東側を平行に通る路地や商店街を北へ進む。






◆西浅草八幡神社



御祭神は応神天皇なり。元禄十三年(1700年)庚辰八月九日田島山快楽院誓願寺に於て豊前の国宇佐八幡宮の御神霊分神を斯の地に御奉遷す。爾来旧浅草田島町の鎮護として御祭りす。御維新前誓願寺にて進退し明治六年一月浅草神社社務兼勤の命を蒙る。
昭和二十年三月九日夜戦火に依り灰燼と帰すも地域住民有志の浄財寄進にて昭和二十四年二月再建、更に昭和四十七年五月近代的コンクリート造りの社殿、社務所が完成し現在に至る。













◆浅草ROX

『当施設の敷地にはかつて浅草松竹座(後に浅草松竹ボーリング、丸石家具センター)・浅草松竹映画劇場・浅草松竹演芸場(現ROX)、浅草日本館(現ROX2G)、浅草常盤座・東京倶楽部・浅草ロキシー映画劇場(現ROX・3G)があった。 浅草公園六区での松竹の撤退と入れ替わりにROXが拡大した形となった。なお、松竹とTOCグループの創業者は同じ大谷姓であるが、全くの無関係。
複合商業施設として1986年に開業。ROX、ROX2G、ROX・3G、ROX DOMEの4つの館があり、衣料品や書店、飲食店、食料品店、ゲームセンター、温浴施設、フットサルコート、プール・フィットネスクラブなどを構えている。
本館であるROXは国際通りに面しており、つくばエクスプレスの浅草駅と地下で直結している。
開業当初は上層階にテレビ収録スタジオ「STUDIO ROX」があり、レギュラー番組としては『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ)や『秘密の花園』(フジテレビ・Call)等、不定期の番組としては『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビIVSテレビ制作。番組内一部コーナーの収録で使用)等の収録にも使用されていたことがある。なお現在は閉鎖、用途変更がされている。
ROX4Fに「ウルトラマン倶楽部」というアミューズメント施設があったが、2006年5月末を以って閉店となった。
2014年4月29日に「コシダカシアター」のあった4階にレストランシアター「浅草六区ゆめまち劇場」がオープンしたが2019年閉館した。2020年よりくら寿司浅草ROX店として営業開始した。 』
浅草ROX - Wikipedia











◆新仲見世

商店街♪











◆まるごとにっぽん

東京楽天地の商業施設。
東京楽天地 - Wikipedia











浅草六区通り




森川信 もりかわ・しん 明治四五年生まれ。昭和四七年没。
本名・森川義信。昭和六年、初舞台を踏む。同十八年、「新青年座」を率いて浅草に定着。
浅草軽演劇界随一の名人役者。戦後はテレビ、映画の達者な脇役、新宿コマ公演の座長として活躍した。 「サザエさん」の波平役と寅さん映画のおじいちゃん役が当たり役となる。




浅草六区ブロードウェイ商店街



六芸神

 江戸時代、 浅草寺境内は、娯楽の場として大道芸人たちが芸を披露する場所として栄えました。 明治に東京五公園の一つとして指定され、公園六区がつくられ、見世物小屋や芸人が集まって来ました。 その後、映画や演劇も始まり、
六区興行街として全国にその名が知られるようになり、 現在の六区ブロードウェーとなりました。
 興行街としてにぎわう六区には、いつの頃からか六人の芸達者な神様が住みつき、六区周辺の芸人達を見守り、芸の知恵を授けてくれるといわれています。 六区からは六芸神に見守られた多くの芸人達が映画や演劇、音楽等で活躍しています。 このため、 六芸神を通りの繁栄の守り神として祭っています。



像のモデル
 この六体の小さな銅像は、 それぞれ浅草にゆかりのある実在の人物をモデルにしている。しかし、 製作に当 たった東京芸大の話だと、 「六芸神」 は神様であるから、 実在の人物を模してはいるものの特定の人物ではないということである。
 向かって左から、
■唄神(うたいがみ)・・・東海林太郎
直立不動の歌唱姿から東海林を模したものであろうが、東海林は1957年、 東京浅草国際劇場で 「東海林太郎歌謡生活25周年記念公演」 を開催しているものの、あまり浅草には縁がない。

■奏神(かなでがみ)・・・田谷カ三(アコーディオンを弾いている)
田谷は声楽家であり、アコーディオンを弾きながら歌うことはなかった。 アコーディオンを弾きながら歌ったのは藤山一郎である。

■ 話神(はなしがみ)・・・古今亭志ん生
これは古今亭志ん生 (5代目)、 三遊亭金馬 (3代目)、柳家小さん (5代目)のイメージで作られたものである。

■戯神(おどけがみ) ・・・大道芸人(氏名不詳。 玉乗りをしている)
玉乗りの江川マストンのイメージである。 尚、 江川マストンは大道芸人ではない。

■演神(えんじがみ)・・・榎本健一
これは間違いなく、 榎本を模したものである。

■踊神(おどりがみ) ・・・水の江瀧子 (紅一点。 踊り子の扮装をしている)
.水の江は男装の麗人であるので、 このような格好はしない。 モデルは初期のSKD(松竹歌劇団)の踊り子をイメージしたものである。


瓢箪池と凌雲閣

 瓢革池、この池は浅草場外発売所や東宝映画などの建ち並んでいる所にあった。明治十七年(一八八四)に浸草寺境内にあった奥山の見世物小屋などを現在の六区に移転させる計画のもとに、浅草田園(この辺一帯)の一部を掘って池をつくり、その土 て大区を造成した。大池が正式の名でてあるが瓢革池の愛称で呼ばれ親しまれていた。池の広さは千八百二十余坪あり、池の中央に中の島があって藤棚や茶店が憩いの場となり東西を橋でつないてあった。夜ともなれば池面に興行街を彩るイルミネーションが淡章の灯をうつして美観を呈した。
 当時の淡草公園にはあらゆる階級の人間が集り、人間の生の息火が渦巻いていた。瓢革池は青春の思い出であり、人生哀歓のオアシスであり、夢の泉でもあった。凌雲閣、通称十二階の名で知凌雲閣、通称十二階の名て知られ、明治二十三年(一八九〇)に浅草の空に鋒え立った日本最高の凌雲閣は、東京市民驚嘆の的であった。凌雲閣は今の浅草東映から西北約五十メートルの地点にあった。(後革公園五区、千東二丁目三十八番地)設計者はイギリス人WK.バートン氏。高さ約六十メートル、一階から十階までが煉瓦積みて、十一階と十二階それに屋根は木造であった。八角形の塔状で八階まで日本最初の昇降装置があり、明治二十三年十一月十日に開業した。
 浅草の文明開化の金字塔であった東京名物凌雲闇も、大正十二年(1923)九月一日の関東大震災で八階からニつに折れ取りこわされてしまった。













奥山おまいりまち

商店街♪











続く。