2022/04/16 下落合散歩 06 トキワ荘マンガステーション/子育地蔵尊/大和田通り長和会/西武線踏切/神習教弘善分教会/地蔵と供養塔/椎名町公園

前の日記「トキワ荘通りお休み処」より少し前から南長崎通りに入る。
通りを北西へ進み、ついこの前訪れたトキワ荘ミュージアムの近くまで散歩。
少し引き返して今度は「大和田通り長和会」という商店街を北東へ進み、椎名町公園から東へ進む。






トキワ荘マンガステーション

こちらもちょっと前に来たところ。
2022/03/25 トキワ荘ミュージアム見学 - ovanの社会科見学









◆子育地蔵尊


目白通り二又子育地蔵尊

 この地蔵尊は、お堂右手にある「子育地蔵尊」の由来碑に記されているように、現在の南長崎交番(南長崎三-二-一)の手前、清戸道(目白通り)が練馬村と中新井村(練馬区)方面にわかれる二又地点に建っていた路傍の地蔵尊でした。
 その台座正面に「宝永七年十月十二日 長崎村施主」、右側面に「是より右 川越うら道」と彫られていることから、宝永七(1710)年に長崎村の有志が、村の平安と通行人の安全を祈願して建てた地蔵尊であったと思われます。
 昭和十三年、目白通りの拡幅工事のため、世話人十二名の協議により現在地に移転しましたが、その頃には、すでに子育地蔵尊 と呼ばれていたようです。移転前には落合村(新宿区)からも多くの人がお参りに来ており、移転の際の世話人にも名を連ねています。また戦前は、四の日の縁日に多くの露天が立ち並び、子どもたちは夜になると燈明やお線香をあげて、大変な賑わいだったといいます。また盂蘭盆の日にも露店が立ち、おばあさんたちが念仏を唱える光景がみられました。
 大正中期から昭和二十年までは足立藤次郎氏が世話をしていましたが、戦後は足立俊雄氏(~昭和六十四年)、足立隆氏(平成元年~)が引き継いで世話人となり、また昭和五十二年から商店街の活性化を図って毎年八月に地蔵祭を行なうなど、子育地蔵尊は昔も今も人々の心のよりどころとして、長崎地域の発展を見守り続けています。










◆大和田通り長和会

商店街♪










西武線踏切

西武新宿線の踏切。












神習教弘善分教会

神習教(しんしゅうきょう)は、美作国(現在の岡山県真庭市蒜山上福田)出身の神道家芳村正秉が1857年(安政4年)に立教し明治初期の神官教導職分離の時期に組織した神道教派で教派神道十三派の一つ。東京都世田谷区に法人の教庁を置く。
当時の神社や神道のあり方に対して問題意識を持っていた正秉が本来の神道の姿に復することを目的として形成され、神代より脈々と流れる伝統的な神道的価値観を教義の柱としている。天照大御神をはじめとして神道古典にある天津神国津神を祀り、古事記日本書紀ほかを所依の教典とする。 』
神習教 - Wikipedia









◆地蔵と供養塔











椎名町公園









続く。