大きな団地(南砂住宅)脇を通り北上する。
観光高札「汽車製造会社跡」
明治23年(1890) 工部省鉄道局の技師平岡熙は、渋沢栄ーなどの協力を得て、小石川に民間鉄道客貨車製造工場を創立しました。平岡工場は、明治29年に錦糸町へ移転し、明治34年には大阪の汽車製造会社(明治29年設立)に譲渡されて同社の東京支店となりました。昭和6年(1931)には砂町の毛利家から入手していた土地(南砂二丁目)に移転して砂町工場(東京製作所)となります。東京製作所では客車·貨車·電車·自動車車体などを製造していました。
昭和39年東京オリンピックに間に合わせるために急がれていた東海道新幹線0系車両の第一次車両製造に参加するなど、城東地区における重工業の中心となっていましたが、昭和47年に川崎重工業に合併されました。
◆南砂長寿サポートセンター
江東区の施設。
南砂長寿サポートセンター|江東区
◆波除地蔵尊
続く。