2022/06/13 日本橋室町散歩 03 初姫稲荷神社/千鳥橋跡/蔦屋重三郎「耕書堂」跡/緑橋跡/横山・橘通り共栄会/馬喰横山駅

前の日記からの続き
2022/06/13 日本橋室町散歩 02 地蔵橋公園/本町歩道橋/馬籠勘解由屋敷跡/小伝馬町駅・三縁史跡の碑/大神神社分社/日光街道本通の道標/三光稲荷神社 - ovanの社会科見学




◆初姫稲荷神社










千鳥橋

下は浜町川跡。

参考
千鳥橋の受難 千鳥橋(ちどりばし)② - トコトコ鳥蔵











蔦屋重三郎「耕書堂」跡



 この地域には、江戸時代中期の出版業者である蔦屋重三郎(1750~97)の書肆(出版業者兼本屋)「耕書堂」がありました。
 寛延三年(1750)に新吉原に生まれた重三郎は、後に喜多川氏蔦屋の養子になり、新吉原大門口五十軒道に書肆を開業しました。安永3年(1774)には、吉原の案内書である「吉原細見」の版元になり、さらに黄表紙などの刊行を行いました。
 天明三年(1783)九月には、通油町(現在地付近)に進出し、洒落本、狂歌本、錦絵などを刊行して、有力な地本(江戸で出版された双紙類)問屋になりました。葛飾北斎の「画本東都遊」(えほんあずまあそび)には「絵草子店」として その店先の光景が描かれています。
 重三郎は江戸の人々の嗜好を汲むことに長けており、戯作者としては朋誠堂喜三二、大田南畝恋川春町山東京伝など、絵師としては勝川春章、鍬形蕙斎、葛飾北斎などの作品を次々に刊行しました。さらに、喜多川歌麿を見出してその庇護者となって大成させるなど、江戸一流の版元として数多くの実績を残しました。
 寛政三年(1791)には、寛政の改革の出版統制による弾圧を受け、身上半減の闕所処分(財産半分没収)とされてしまいます。しかし、それ以降も書肆としての活動を続け、寛政六年から翌年にかけて東洲斎写楽の役者絵などを刊行しました。










◆緑橋跡

下は浜町川跡。

参考
今に残る橋の記憶 緑橋(みどりばし)編 ③ - トコトコ鳥蔵











◆横山・橘通り共栄会

商店街♪











馬喰横山駅

都営新宿線馬喰横山駅









続く。
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