2022/06/26 番町散歩 02 佐野善左衛門宅跡・御厩谷坂/川喜田半泥子旧居跡/『明星』発祥の地/一口坂/歯の供養塔/市ヶ谷門跡/市ヶ谷駅

前の日記からの続き。
2022/06/26 番町散歩 01 パレスサイドビル/牛ヶ淵/九段坂/弥生慰霊堂/田安門/靖国神社/壬生藩鳥居家上屋敷跡/塙検校和学講談所跡 - ovanの社会科見学






◆佐野善左衛門宅跡・御厩谷坂

佐野善左衛門宅跡



 現在の大妻学院の辺りには旗本佐野家の屋敷がありました。 佐野家は代々番士として、江戸城の警備を勤めていました。
 1784年(天明4年)4月24日、 当主であった佐野善左衛門政言(さのぜんざえこんまさこと)は、江戸城内で若年寄田沼意知(老中田沼意次の子)を斬りつけ、そのうしみかりるのこ うのびと~くされてけがある後切腹を命じられ自害しました。
 当時、飢饉や大火が続き、物価が高騰していましたが、この刃傷事件が米価の下落の時期と重なり、さらに老中田沼意次が失脚したことから、善左衛門政言は「世直し大明神」と江戸の人々から崇められました。 この事件を脚色した歌舞伎の 「有職鎌倉山(ゆうそくかまくらやま)」 や黄表紙『黒白水鏡(こくびゃくみずかがみ)』(石部琴好(いしべきんこう)作・山東京伝(さんとうきょうでん)画)はこの事件を風刺したものと言われています。
 善左衛門政言の墓所台東区の徳本寺にあります。



大塚女子大学前に「佐野善左衛門宅跡」の説明版があり御厩谷坂の坂下。



御厩谷坂坂下



坂下の谷筋(現在の大妻学院から九段小学校に向かう道筋)に江戸時代、徳川将軍家の厩舎があったことから名付けられました。その後、旗本屋敷などの武家地となり、明治以降は華族や実業家などの邸宅が多く建設されました。
















川喜田半泥子旧居跡 まちの記憶



実業家・川喜田半泥子 (1878-1963) は陶芸、書、俳句、絵画、茶道などの文化人としても名を残した。 東京の拠点として昭和12年から数年間ここに住んだ。

















◆『明星』発祥の地/大橋図書館跡/子供のための音楽教室開設の地


『明星』発祥の地

東京新詩社(与謝野鉄幹主宰) の機関誌 「明星」はこの地で刊行された。 主要同人として高村光太郎北原白秋石川啄木、鳳(与謝野 晶子らが寄稿し当時の歌壇、詩壇に大きな影響を与えた。


大橋図書館

大橋図書館は大橋佐平の提唱でこの地に創設された近代日本の私設図書館のさきがけである。


子供のための音楽教室開設の地

本学創立者 大江スミと音楽教師 鈴木乃婦 の志により音楽の早期教育を願った斎藤秀雄らの夢がこの地に実現小澤征爾 中村紘子 堤 剛 などの多くの音楽家が巣立った



家政学院前に上記3つの史跡があった。
















◆一口坂

坂上の「一口坂」交差点。



坂上



坂下。



現在では一口(ひとくち)坂と呼ばれていますが、本来は一口(いもあらい)坂という名称が正しいと言われています。
「いもあらい」とは疱瘡のことを「いもがさ」、「へも」と呼びますが、疱瘡を洗う(治す)ことを示しています。
現在は痕跡がありませんが、坂の下に疱瘡の治癒に霊験のある一口稲荷が祀られていたと言われ、それが坂名の由来になりました。
















◆歯の供養塔

供養塔のほかに説明版など見当たらなかった。



後の建物が東京都歯科医師会が入っている建物なので、この供養塔があるのだと思う。
















◆市ヶ谷門跡



 市ヶ谷門は、 1636年(寛永13年)に美作津山藩(現在の岡山県) 藩主森長継によって築造されました。 門に付属する橋は、現在の五番町・九段北四丁目と新宿区の市谷田町 市谷八幡町を結んでいました。 1871年(明治4年) に、 市ヶ谷門は枡形石垣と橋を残して撤去され、のち枡形石垣も撤去されました。 ここにある石は、市ヶ谷門橋台の石垣の一部です。 石に刻まれた刻印は、江戸時代初期に御手伝普請で石垣を築いた大名家や職人の印と考えられています。
 赤坂見附から牛込橋にいたる堀や土手の遺構は、1956年 (昭和31年)3月26日に、江戸城外堀跡として国指定史跡になっています。

















市ヶ谷駅

JR総武線市ヶ谷駅










暑かった~。
四ツ谷まで歩く予定だったけど無理だった(w
35度越えだとさすがに厳しいね・・・・・。
しばらく暑い日が続きそうだ(涙