2022/08/05 赤坂散歩 02 黒田清輝旧居跡碑/ルドルフ・レーマン記念碑/旧北白川宮邸洋館/バングラディシュ大使館/日本GAP協会/日本舶用品検定協会/明治薬科大学

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/08/05/203000






黒田清輝旧居跡碑

1900年明治三十三年黒田清輝ここに住む
重要文化財の 「湖畔」や 「智感情」などの作品を描いた明治・大正期の洋画家。 この年、 これらの絵画をパリ万博に出品し、 銀賞を受賞した。

『黒田 清輝(くろだ せいき、1866年8月9日(慶応2年6月29日) - 1924年大正13年)7月15日)は、日本の洋画家、政治家。位階は従三位。勲等は勲二等。爵位は子爵。通称は新太郎(しんたろう)。名の清輝は、本名は「きよてる」だが、画名は「せいき」と読む。教え子からは「メートル(先生)」とフランス語(maître)で呼ばれた[1]。東京美術学校教授、帝国美術院院長(第2代)、貴族院議員などを歴任した。』
黒田清輝 - Wikipedia











◆ルドルフ・レーマン記念碑

蘇鉄 と Rudolf Lehmann
(ルドルフレーマン 1842~1914)
砂防会館の敷地は、かつてドイツ東亜細亜協会 (明治6年(1873) 設立。 現公益社団法人オーアーゲー・ドイツ東洋文化研究協会(OAG))の所有地でした。
ルドルフレーマンは、ドイツに生れ、明治2年(1869) に来日。 ドイツ語教育に従事し人材を育成するとともに、 OAGの設立に貢献し会長等の要職を歴任するなど、日独の文化交流や貿易振興に大きな足跡を残しました。
この蘇鉄は、ルドルフレーマンの思い出として、レーマン家より昭和10年(1935) に記念碑とともにOAGに寄贈されたものです。



こちついこの前来たところなのだが、上の記念碑があるのが分からず、素通りしていた。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/07/17/220000

氏のお墓は雑司ヶ谷霊園にある。
以前お参りしていた。
2021/05/26 雑司が谷散歩 06 雑司ヶ谷霊園 - ovanの社会科見学










◆旧北白川宮邸洋館・煉瓦基礎遺溝



北白川宮邸洋館
設計 : ジョサイア・コンドル 竣工: 1884 (明治17) 年12月
 2011 (平成23)年、旧李王家東京邸(現赤坂プリンスクラシックハウス)の保存工事の過程で地中より旧北白川宮邸洋館の煉瓦積基礎が発見された。
 この地は、 紀伊徳川家江戸上屋敷跡で、 明治時代になって北白川宮能久親王に下賜され、 1884 (明治17) 年に洋館を中心とする大規模な殿邸が建設された。 洋館は煉瓦造2階建 (一部3階) の壮麗なゴシック建築で、 設計者はジョサイア・コンドルであった。 その後、 北白川宮邸洋館は1894 (明治27)年の東京地震によって被害を受け、翌年には能久親王が逝去したことから、3階と西側が撤去縮小され、 玄関ポーチも北寄りに移された (写真はこの時のものである)。 1912 (明治45)年、 北白川宮家は高輪南町の新邸に移転し、跡地には1930 (昭和5)年に李王家東京邸が建設された。
 発見された煉瓦積基礎には上質の煉瓦が用いられており、目地にセメントを用いた丁寧かつ堅牢な造りであった。 この遺構はその一部で、玄関ポーチの独立柱の基礎であったと考えられる。

ジョサイア・コンドル (Josiah Conder)
[1852(嘉永5)年~1920(大正9)年]
 1877 (明治10) 年に工部大学校造家学教師および工部省営繕局顧問として来日し、終生を日本で過ごしたイギリス人建築家。
 日本人建築家の養成と西洋建築の導入に大きな功績を残した。
 主な作品に鹿鳴館 (現存せず)、 ニコライ堂 (現存)、 三菱一号館(復元)、 岩﨑久彌邸 (現存)など。



以前こちらに訪れたことがある。
文化財ウィーク「旧李王家邸 「旧グランドプリンスホテル赤坂 旧館」
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/20171102/1509731403










バングラディシュ大使館

バングラデシュ人民共和国バングラデシュじんみんきょうわこく、英語 People's Republic of Bangladesh、ベンガル語: গণপ্রজাতন্ত্রী বাংলাদেশ)、通称バングラデシュは、南アジアにある共和制国家。首都はダッカである。
北と東西の三方はインド、南東部はミャンマーと国境を接する。南はベンガル湾(「インド洋の一部)に面する。西側で隣接するインドの西ベンガル州、東側で隣接するインドのトリプラ州とともにベンガル語圏に属する。ベンガル湾に注ぐ大河ガンジス川下流部を有する。
イギリス領インド帝国の一部からパキスタン飛地領土(東パキスタン)を経て独立し、イギリス連邦加盟国のひとつである。 』
バングラデシュ - Wikipedia


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日本GAP協会

『ASIAGAP・JGAPという2つの認証プログラムの管理、開発、運営を通じて、持続可能な農業の実現に尽力し、広く社会に貢献すること』
とあった。

JGAP/ASIAGAP認証制度の概要
https://www.maff.go.jp/j/seisan/gizyutu/gap/attach/pdf/asiagap_gfsi-1.pdf










◆(一財)日本舶用品検定協会

『船舶の堪航(タンコウ)性及び海上における人命の安全の確保、並びに海洋等の汚染防止という使命のもと、昭和49年(1974年)創立以来、国の型式承認を受けた船舶用物件の検定業務を行ってまいりました。』
HKについて | 一般財団法人 日本舶用品検定協会










明治薬科大学 剛堂会館ビル



明薬は明治三十五年四月医薬分業確立を理念として学祖 恩田重信先生により創立され 同四十年七月現在地に明治薬学校々舎を建つ
爾来震災戦災のため麹町笹塚野沢田無と変遷するも今日の大明薬に発展せしは創学精神の継承による茲に発祥の地を明記する碑を建て母校の発展を祈り明薬史の道標となす


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 本学の創立者水田三喜男先生は、明治三十八年(一九〇五年)四月十三日千葉県安房郡曾呂村(現鴨川市西)に生まれ、京都帝国大学を卒業。
 第二次世界大戦後の荒廃した我が国の復興のために、戦後最初の衆議院議員選挙に自由党より立候補して初当選、爾来連続当選十三回、自由民主党政調会長、吉田内閣の経済審議庁長官、石橋内閣・岸内閣の通産大臣、池田内閣・佐藤内閣の大蔵大臣などを歴任、三十年にわたって国政に参与された。
 先生は「国の礎は教育にある」との信念から、昭和四十年四月、「学問を通しての人間形成」を建学の理念として、城西大学を創立、若い人々の教育と将来の日本社会を担う人材の育成に心を尽くされた。
 これらの功績により、先生は昭和五十一年、勲一等旭日大綬章を受勲されたが同年十二月二十二日没、享年七十二歳。
 本学の創立四十周年にあたり、我々一同は心を合わせて創立者水田三喜男先生の事績を顕彰し、生前、「京子」という俳号でこよなく俳句を愛された先生を偲んで、この句碑を建立する。










続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/08/05/213000