2022/08/05 新宿歴史博物館「記憶の底にある宝物 子供時代の遊びとおもちゃ」


かなり久しぶり。
最後に来たのはコロナ前だね。
今回もぐるっとパスで入館。


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懐かしいものもあれば古すぎてわからないものもあった。
面白かったのは「記憶の底にある宝物ーおもちゃや遊びの思い出ー」のコーナー。
パネル展示で昔の遊びなどをボランティアの方々から紹介してもらっているコーナーだった。






 落合では、夏から秋にかけて、たくさんの神社でお祭りがありました。 中井御霊神社のお祭りでは、大きなルーレットのようなものを回して、矢印が止まったところにある景品をもらえるという夜店が、 毎年出ていました。
私と友だちの4人は、毎年お祭りに来ていましたので、 店のおじさんが台の下で巧妙に矢印の位置を操作していることに気付いていました。
 私たちは、 突然大声を出したり、急に話しかけたりして、 おじさんの気をそらす作戦に出ましたが、皆失敗。 最後にリーダー格の友だちが、 矢印が止まる寸前におじさんに体当たりをし、見事矢印は私たちの狙っていたカメラの位置に! 皆が大喜びしたその瞬間、 おじさんは台に倒れ込み、 「台が揺れたからやり直しね」 と一言・・・・・。何も言い返せず、 結局カメラはもらえませんでした。

※昭和20年代頃、新宿区で子供時代を送った方の回想。


 家の近くの根津神社や光源寺 (駒込大観音)のお祭りに、いつも「ゴリラ商会」 という露店が出ていました。 ゴム風船売りなのですが、風船にポンプで空気を送ってふくらませている間に、店のおじさんがお経交じりの口上を言います。 渡してくれる時も、「はいっお姉さんはバレーボール」 とか一言言ってくれて、それが面白かったです。 普通の風船より少し高かったのですが、 人気があり、 いつも人だかりがしていました。 おじさんの顔は少しゴリラに似ていて、 今でもふと思い出すことがあります。

※昭和20~30年代頃、 文京区で子ども時代を送った方の回想。









 桜の花びらをあつめて糸に通し、首飾りにしていました。 花びらは一日で色が変わってしまいましたが、夢中になって作りました。昔は、身を飾るものが少なく、こうした首飾りや、シロツメクサの冠などでおしゃれ心を満たしていました。 着るものも、セーターやスカートなど、母の手作りが多かったです。
 学校の遠足で出洲海岸に潮干狩りに行ったときに、母がレースの襟の服を着せてくれたことを憶えています。 潮干狩りには向かない服装で、 少し恥ずかしかったです。

※昭和20年代頃、文京区で子ども時代を送った方の回想。 出洲海岸(でずかいがん)は千葉市にあった海岸で、現在は埋め立てられています。


 私は中野で生まれ、小学校に入る前に武蔵野市に引っ越しました。 武蔵野市にいたころ、祖母がよくトウモロコシでお人形を作ってくれました。 皮やひげなど捨ててしまう部分を使った、 姉さん人形に似た形のものです。
 あとは、竹の皮で梅干を包んだものをしゃぶっておやつにしたり、 赤まんま (イヌダテ)の穂をごはんに見立てて、 ままごとをしたりしました。

※昭和30年代頃、 武蔵野市で子ども時代を送った方の回想。


 よく近所の友だちと家でお人形さんごっこをして遊んでいました。 初代バービー人形が登場した頃で、 友達が買ってもらったのがうらやましくて仕方がありませんでした。 しかし、母はバービーの8頭身があまりにも日本人離れしているということで買ってくれず、その代わりタミーちゃん人形を買ってくれました(こちらの方が少し安かったのかもしれません)。 洋服が高いので、 母はせっせとタミーちゃん人形の服を作ってくれました。 ドレスからニットのカーディガンまですべて手作りの洋服です。 それを何度も着せ替えて遊んでいました。

※昭和30年代頃、 市川市で子ども時代を送った方の回想。


 母が日本舞踊の先生をしていたので、家に舞台があり、 そこでよく友だちと 「若草物語ごっこをしました。 近所の女の子4人で、4人姉妹になりきって遊んでいました。 私はジョーが好きでした。 「若草物語」 は本で読み、「モスリン」などの単語の意味がわからず、想像を膨らませていました。 後で親にねだって、その時もう古い映画でしたが、エリザベス・テイラーが出ていた 「若草物語」 を京橋のテアトル東京に観に行きました。 長いスカートをちょっと持ち上げて歩いたりする所作の素敵だったこと。 あの世界に、 本当にあこがれていました。

※昭和20~30年代頃、 文京区で子ども時代を送った方の回想。









 赤羽に住んでいたのですが、月に1回くらい、4、5人の友だちと上野の科学博物館に行きました。一応親には、勉強という名目にしていました。私が好きだったのは、「フーコーの振り子」の展示です。 不思議だなあ・・・・・・と思ってずっと振り子の揺れるのを眺めていました。 私はその後物理の道に進みました。子どもの頃不思議に思っていたことや、興味の対象は、大人になっても変わらないのかもしれない・・・・・と、今となっては思い返します。

※昭和20年代頃、北区で子ども時代を送った方の回想。
※「フーコーの振り子」とは、科学博物館の天井から吊り下げられた振り子。19世紀フランスの物理学者レオン・フーコーは、この振り子で地球の自転を証明しました。


 私のの家の近くに、精工舎(今のセイコーグループ)の時計工場がありました。 金網の脇に置時計などに使われる大理石のクズがあり、金網の外から手を入れて持って帰りました。 アスファルトのひいてある場所にチョークで陣を描いて、 大理石で石けりをしました。ものすごく良くすべり、 とっても楽しかったです。

昭和20~30年代頃、墨田区で子ども時代を送った方の回想。


 小学校5年生くらいの頃、友だちの影響で、鉱石ラジオに興味を持ちました。 友だちと秋葉原や、 新宿の二幸のそばにあった大きな電気屋で部品を揃え、 自作しました。 友だちは、秋葉原での価格交渉のやり方を私に教えてくれました。 秋葉原は、 当時は電気商の小さなテントがずらっと並んでいて、今とは全然雰囲気が違いました。 お金はお年玉などを少しずつためてやりくりしました。
 初めてレシーバーからラジオの音が聞こえてきた時の感動を、今でも憶えています。

※昭和20年代頃、 武蔵小杉で子ども時代を送った方の回想。


 子どもの頃、神宮外苑でよく遊びました。雪が降ると、みかん箱の底に竹(門松のもの)をつけてそりを作り、陸上競技場の芝生席のスロープでそりすべりをしました。
 また、今の第二野球場のあたりや、みなみもと町公園 (鮫河橋)などの広い場所で、四谷第六小の仲間とUコン (模型飛行機)を飛ばしていました。 須賀町の威行寺坂に模型飛行機の店があり、そこでUコンの材料を買っていました。

※昭和20年代頃、新宿区で子ども時代を送った方の回想。








常設エリア




常設展示はすこ~しだけ変わっていたような気がする。
忘れないように近いうちにまた来よう。
ここは歴史博物館のお手本みたいな場所だとおもっている。








前回来た時の日記はコチラ↓
2019/12/05 02 新宿歴史博物館「測量×地図」 - ovanの社会科見学


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新宿歴史博物館


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休館日
『第2・4月曜日(祝日の場合は翌日)
但し、全館燻蒸作業日(12月)と年末年始(12/29~1/3)は休館いたします。』
とのことですが、行かれる方は事前にHPなどチェックしてから行ってくださいネ!