2022/08/14 南千住・不忍池散歩 03 荒川自然公園/鹽竈神社/荒川八丁目公園/荒川八丁目南公園/石仏と洞/千住製絨所跡/南千住若宮八幡宮

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/08/14/213000





◆荒川自然公園




下水処理発祥の地(妻夫塚)

 三河島字八千代田、字次郎田前と呼ばれていたこの地に二つの塚があった。 妻夫塚と呼ばれるもので、正平七年(1352)、武蔵野合戦における戦死者を葬った所と伝わるが、詳細は不明である。明治四十三年に三河島処理場の敷地に編入され、現在では正確な塚の位置を確認することができない。
 日本で最初の本格的な下水処理施設である「三河島処理場」は大正三年、建設に着手した。同年から始まった第一次世界大戦の影響による財政面の制約などの理由から、工事の進行に打撃を受けたが、大正十一年(1922)、完成した。
 荒川区のみならず、台東区の全部、文京・豊島区の大部分と千代田・新宿・北区の一部の下水処理を行う。 赤煉瓦の処理場施設は建設当時からのもの。千住製絨所(日本羊毛工などとともに荒川区の近代化の担い手であった。


鷲尾俊一「波」


日高頼子「重奏」


峯田義郎「風考 -空へ」


白鳥の池



荒川八丁目口










鹽竈神社

荒川自然公園から撮った。



門が閉ざされていた。
というか、私有地だね。
外からお参りさせていただいた。










◆荒川八丁目公園










◆荒川八丁目南公園


御正進「大空へのはばたき」










◆石仏と洞











◆千住製絨所跡



 この付近一帯には、明治十二年(1879)に創業された官営羊毛工場である千住製絨所があった。
 工場建設用地として強固な基盤を持ち、水利がよいことから、隅田川沿いの北豊島郡千住南組字西耕地 (現南千住6-38〜44、45付近)が選定された。敷地面積8、300余坪、建坪ー、769坪の広大なものであった。明治二十一年(1888)に陸軍省管轄となり、事業拡大とともに、現荒川総合スポーツセンターあたりまで敷地面積が拡張された。
 構内には生産工場にとどまらず、研究施設や福利施設などが整備され、近代工場の中でも先進的なものであった。
 戦後民間に払い下げられ、昭和三十七年、敷地の一部は野球場「東京スタジアム」となり、人々に親しまれてきた。
 一部残る煉瓦塀が往時を偲ばせる。












◆南千住若宮八幡宮


若宮八幡神社八幡太郎義家伝説

 若宮八幡の名のとおり仁徳天皇を祭神とする。平安時代、奥州攻めに向かう八幡太郎義家 (源義家)が、荒川の「渡裸川の渡し」を渡る際、目印に白幡を立てたとも伝える。 足立区千住仲町の白幡八幡は、この白幡が納められた神社という言い伝えを持ち、この付近が古くから渡河点であったことを推測させる。
 婦人の病に効験があるとされ、祈願して治った時には二股大根を描いた絵馬を奉納するという。近隣の崇敬を受け、平成十四年に社殿新造営が行われた。











続く。