2022/08/22 不忍池・銀座散歩 01 根津駅/休昌院/妙極院/言問通り/旧根津宮永町/三段坂/ことりカフェ


24時間勤務アケで東京メトロ千代田線根津駅から同じく銀座線上野広小路駅まで散歩。




根津駅

東京メトロ千代田線根津駅










◆休昌院









◆妙極院


浄厳律師墓

 浄厳律師は、江戸時代の真言宗を代表する高僧の一人である。寛永十六年(1639)、河内国錦部郡鬼住村に生まれる(現大阪府河内長野市)。俗称上田氏。慶安元年(1648)、高野山で悉地院雲雪を師として出家した。字は覚彦。諱は雲農、のち浄厳。妙極堂などの号がある。修行・学問に努め、「法華経秘略要鈔」「悉曇三密鈔」「諸真言要集」など多数の著作がある。特に悉曇学(梵字梵語の音声や書法の学問)に大きな業績を残した。
 寛文十一年(1671)下山して、各地で教化に努めた。元禄四年(1691)、柳沢吉保の邸宅で五代将軍綱吉に謁見して、普門品(観音経)を講じた。綱吉は深く帰依し、浄厳を開基として、霊雲寺を創建した(文京区湯島2丁目)。同十一年(1698)、幕府より霊雲寺墓所地として当地を拝領(1300坪)、妙極院が創建された。
 同十五年(1702)6月27日、64歳で没した。当地のほか、郷里の延命寺にも墓がある(大阪府河内長野市)。


子育地蔵尊









言問通り








◆旧根津宮永町



 もと、 谷中道(やなかみち)といわれた地である。
 宝永3年(1706) 甲府中納言徳川綱重 (5代将軍綱吉の兄)の山手屋敷の跡に、 根津権現(根津神社)が建立された時から、根津宮永町と称するようになった。
 当地は根津権現の宮元であるので宮永町と唱えたという。 宮元を宮永としたのは、宮居と共に永遠(とこしえ)にという意味であろう。
 明治5年、 旧川越藩松平氏下屋敷や、その他の土地を併せて町域を広げた。
 6代将軍家宣は徳川綱重の子で、現在の根津神社の境内にあった屋敷で生れた。 根津権現産土神(うぶすながみ)で、 将軍綱吉の嗣子となると、 綱吉は華麗な根津神社を建てた。



看板後ろの建物は「はん亭」
国の登録有形文化財だ。
はん亭(根津/串揚げ) - ぐるなび








◆三段坂

坂下。



坂途中。



坂上



 『台東区史』はこの坂について,「戦後,この清水町に新しい呼名の坂が,ここ屋敷町の大通りに生れた。段のついた坂で,三段坂と呼ばれている」と記している。戦後は第二次大戦後であろう。清水町はこの地の旧町名で,この坂道は 明治20年(1887)版地図になく,同29年版地図が描いている。したがって,明治20年代に造られた坂である。








◆ことりカフェ

いつか行ってみたい。
kotoricafe-ueno.owst.jp








続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/08/22/210000