2022/10/01 けやき通りの彫刻・清瀬デザインマンホール


けやき通りにたくさんの彫刻があった。
ケヤキロードギャラリー』という名前がついていた。
通りにデザインマンホールもいくつか確認できた。





標甲



清水 九兵衛「標甲」|清瀬市公式ホームページ

『清水九兵衞(きよみず きゅうべえ、1922年5月15日 - 2006年7月21日)は彫刻家、陶芸家。日本における抽象彫刻の第一人者である一方、京焼の名家として知られる清水六兵衞(七代)を襲名していた。名は広(廣)、旧姓は塚本。』
清水九兵衛 - Wikipedia









笛吹き少年



舟越 保武「笛吹き少年」|清瀬市公式ホームページ

『舟越 保武(ふなこし やすたけ、1912年12月7日 - 2002年2月5日)は、日本の彫刻家。佐藤忠良と共に戦後日本を代表する彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。東京藝術大学名誉教授。文化学院出身。直彫りによる石彫の第一人者とされる。
画家の妻道子との間に子供6人。次男の舟越桂や三男の舟越直木も彫刻家として活躍。娘の末盛千枝子(末盛憲彦の妻)は、児童文学編集者で「すえもりブックス」経営者。 』
舟越保武 - Wikipedia









幼いキリン・堅い土



淀井 敏夫「幼いキリン・堅い土」|清瀬市公式ホームページ


『淀井 敏夫(よどい としお、1911年2月15日 - 2005年2月14日)は、日本の彫刻家。文化勲章受章者。 削げたような形態と岩のような質感のユニークな作品で知られる。
兵庫県朝来市生まれ。大阪市立工芸学校を経て東京美術学校彫刻科卒業後、主に二科会を舞台にして、心棒に石膏を直付けする独自の技法で対象を叙情的に表現した具象彫刻を発表。大阪市立工芸学校教諭、東京芸術大学教授・美術学部長を務めた。 』
淀井敏夫 - Wikipedia









亜古



佐藤忠良

『佐藤 忠良(さとう ちゅうりょう、1912年7月4日 - 2011年3月30日[1])は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。 』
佐藤忠良 - Wikipedia









道標・鳩



柳原 義達「道標・鳩」|清瀬市公式ホームページ









『柳原 義達(やなぎはら よしたつ、1910年3月21日 - 2004年11月11日)は、近現代日本の彫刻家。 』
柳原義達 - Wikipedia


TENKO Ⅲ



ライモ・ウトゥリアイネン「TENKO lll」|清瀬市公式ホームページ

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追想 町をゆきて



マリオ・チェロリ「追想 町をゆきて」|清瀬市公式ホームページ

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ベンチにすわる少女



リン・チャドウィック「ベンチにすわる少女」|清瀬市公式ホームページ

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青い樹




セバスチャン「青い樹」|清瀬市公式ホームページ

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カタンの女



フランシスコ・スニガ「ユカタンの女」|清瀬市公式ホームページ

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花のころ



城田 孝一郎「花のころ」|清瀬市公式ホームページ

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いちじく



掛井 五郎「いちじく」|清瀬市公式ホームページ

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エヴァからもらった大きなリンゴ



堀内 正和「エヴァからもらった大きなリンゴ」|清瀬市公式ホームページ

『堀内 正和(ほりうち まさかず、1911年(明治44年)3月27日 - 2001年(平成13年)4月13日)は、日本の彫刻家である。抽象彫刻の先駆者として知られた。』
堀内正和 - Wikipedia









梟月夜



手塚 登久夫「梟月夜」|清瀬市公式ホームページ

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思い出



山本 正道「思い出」|清瀬市公式ホームページ

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そりのあるかたち'90



澄川 喜一「そりのあるかたち'90」|清瀬市公式ホームページ

『澄川 喜一(すみかわ きいち、1931年5月2日 - )は、日本の彫刻家。勲等は文化勲章東京芸術大学名誉教授、学校法人國學院大學顧問、日本芸術院会員、文化功労者
東京芸術大学美術学部教授、東京芸術大学学長、新制作協会委員長、財団法人横浜市芸術文化振興財団理事長などを歴任した。 』
澄川喜一 - Wikipedia









王妃



細川 宗英「王妃」|清瀬市公式ホームページ

『細川 宗英(ほそかわ むねひで、1930年7月25日 - 1994年4月30日)は日本の彫刻家。号は観無水。 』
細川宗英 - Wikipedia









MOUNTAINOUS



細川 宗英「王妃」|清瀬市公式ホームページ

『新妻 実(にいづま みのる、1930年9月29日 - 1998年9月5日)は、日本の彫刻家[1]。ニューヨークストーン研究所長。アメリカに在住していた。 』
新妻実 - Wikipedia









my sky hole 91-8



井上 武吉「my sky hole 91-8」|清瀬市公式ホームページ

『井上 武吉(いのうえ ぶきち、1930年12月8日 - 1997年9月26日)は、奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)出身の彫刻家。 』
井上武吉 - Wikipedia









黒い石をつつむ幕舎



保田 春彦「黒い石をつつむ幕舎」|清瀬市公式ホームページ

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水滴



吾妻 兼治郎「水滴」|清瀬市公式ホームページ

『吾妻 兼治郎(あづま けんじろう、1926年3月12日 - 2016年10月14日もしくは10月15日)は、イタリア在住の日本人の彫刻家。ミラノに在住し、抽象作家として国際的にも高い評価を受ける。作品に「MU(無)」「YU(有)」「慈悲心の美徳」など。彫刻表面に腐食で出来たようなくぼみをあしらう作品に特徴がある。山形市生まれ。 』
吾妻兼治郎 - Wikipedia









四本の木



土谷 武「四本の木」|清瀬市公式ホームページ

『土谷 武(つちたに たけし、1926年10月11日 - 2004年10月12日)は、昭和後期から平成初期の日本の彫刻家の一人。
彼は主に、鉄や石といった素材を用いた作品を残している。1980年代以降は、「かたち」に注目し、そういった固い素材を使っているにも関わらず『歩く鉄』や『開放 I』等、動きのある表現をしている作品が多い。 』
土谷武 - Wikipedia









惑星



小田 襄「惑星」|清瀬市公式ホームページ

『小田 襄(おだ じょう、1936年 - 2004年)は、日本の彫刻家国際的金属造形作家で、ステンレスを使った作品で知られる。紫綬褒章受章・日本美術家連盟理事長・教育者として多摩美術大学東北工業大学において多数の後進の教育に携わった。 』
小田襄 - Wikipedia









風の標識No31



大成 浩「風の標識No31」|清瀬市公式ホームページ

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ケヤキの椅子



この椅子は、けやき通りの街路樹のケヤキのうち、腐朽(ふきゅう)が見られ倒木の恐れがある樹木を伐採したものから、腐朽箇所を取り除いた部分を再利用したものです。
数十年間けやき通りを見守ってきた樹木ですが、今後も形を変えてけやき通りを見守っていきます。
※この場所の竹も台田の杜の竹を再利用したものです。









デザインマンホール1

オナガ
他にも同じマンホールがいくつかあった。









デザインマンホール2

サザンカ
こちらも同じマンホールがいくつかあった。









デザインマンホール3

こちらも同じマンホールがいくつかあった。









デザインマンホール4

こちらも同じマンホールがいくつかあった。









デザインマンホール5