前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/10/11/203000
昔、この処理場敷地内の柳瀬川沿いに大きな沼があり、そこに大蛇が住んでいました。村人達はいつも困らせる大蛇を恐れ、退治することになりました。 沼のそばに大きな舞台をつくり、その上で踊りを踊ったそうです。すると、あまりのにぎやかさに大蛇が沼から頭を出しました。待ちかまえていた村の弓自慢が矢を射ると、矢はみごとに大蛇の頭をつらぬき、柳瀬川を越えて城村まで飛んでいったといわれ、頭をもぎとられた大蛇は、川下の田んぼで死んでいたそうです。
そこで矢の飛んでいった地を「矢崎」 大蛇の死んでいた田んぼを「頭なし」、舞台をつくった沼のそばを「舞台」と名づけたそうです。
後ろの建物は上記、東京都下水道局 清瀬水再生センターの建物。
◆白山神社
◆清戸番所跡
現地では説明板など見当たらなかった。
google mapのマークは上の写真のところ辺り。
WEBで調べると、公式なものがあまり認められなかった。
wikiに少し記述があった。
『滝の城(たきのじょう)は、埼玉県所沢市 城に所在した日本の城である。同市の東端で隣接する東京都清瀬市との都県境、柳瀬川の北岸に位置し、豊かな緑に覆われた断崖の上に 曲輪や空掘り跡などが残っている。 今日では本丸跡に「城山神社」が祀られ、その南側を中心に滝の城址公園(たきのじょうしこうえん)として整備され、梅・桜の木や運動施設などが揃う公園となっている。 』
『戦国時代には、関東管領上杉氏の家臣で武蔵国守護代 大石氏の滝山城(後に八王子城)の支城として対岸の清戸番所との関係もあったとされる。その後大石定久の代に後北条氏の支配下となり北条氏照の支城になった。』
滝の城 - Wikipedia
『いつの頃かははっきりしないが、15世紀後半大石氏は柳瀬川の対岸、現在の所沢市に滝の城を設営した。戦国時代になり、甲斐武田氏の勢力が伸張してくると、後北条氏と組み、後北条氏の領地とした。後北条氏の勢力下に入ると、滝の城か対岸の清戸下宿(小字岡)かは明らかではないが、清戸番所が設けられた。清戸番所は現在の関東地方北部に向かう軍事的な要所をなした。滝之城は豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城し、今は「滝之城跡」として残るのみである。 』
清瀬市 - Wikipedia
昔、この辺りにどんな日照りのときでも枯れたことのない清水がありました。 働きもののお百姓さんがいつもほろ酔い機嫌で家に帰ってくるようになったので、ある時変に思った息子は、父親のあとをつけてみました。すると父親は、清水の水を飲んで酔っぱらっていました。 不思議に思った息子が、 その水を飲んでみるとただの水だったそうです。 親が飲むと酒で子が飲むとただの清水といううわさが村中に広まり、そこれからというもの、この清水は「こ(子) わしみず(清水)」と呼ばれるようになったそうです。
この「こわしみず」、 昭和48年に武蔵野線が敷設されるまで実在していました。
◆武蔵野線ガード
こちらをくぐって線路の反対側(※※※※※※※※)へ。
◆東日本旅客鉄道株式会社 新座変電所
google mapに載っていなかった。
赤丸印のところ辺りになる。
新座駅を超えて駅北東にある立教大学新座キャンパスへ向かう。
新座散歩へ続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/10/11/213000