2022/10/19 べったら市 01 小伝馬町/大安楽寺/十思公園/十思湯/べったら市/於竹大日如来井戸跡


24時間勤務アケで、細君と3年ぶりに復活した「べったら市」へ。







小伝馬町駅

東京メトロ日比谷線小伝馬町駅





駅前にあった「碑」

以前も写真を撮っている。
2022/06/13 日本橋室町散歩 02 地蔵橋公園/本町歩道橋/馬籠勘解由屋敷跡/小伝馬町駅・三縁史跡の碑/大神神社分社/日光街道本通の道標/三光稲荷神社 - ovanの社会科見学
都重寶 石町時の鐘
江戸時代當初の時の鐘で初め江戸城にあり。二代将軍秀忠の時是を 石町 に移し、地元410町より集めた鐘楼錢で維持され幕末まで石町時の鐘として親しまれた。鐘楼櫓下では 蕪村 等が夜半亭と号して俳諧の集ひをしていたことは有名である。傳馬町牢に於ける處刑時もこの鐘を合図に執行されたが、定時に鳴るべき鐘が處刑者の延命を祈るが如く、その都度遅れたとあって、一名情けの鐘とも傳へらる。現鐘は旧楼燒損後寳永8年に改鋳したもので、銘に寳永辛卯四月中浣鋳物師大工椎名伊豫藤原重休とある。昭和5年9月石町寳永時鐘を楼建設会に依り十思公園に移され、28年11月都重寳に指定さる。

傳馬町牢屋敷跡
安楽寺、村雲別院、身延別院、十思小学校及び十思公園を含む一帯の地は江戸時代の傳馬町牢屋敷跡である。牢屋敷は慶長の頃常盤橋際より移り明治8年5月市ヶ谷囚獄が出来る迄存した。幕末の時牢屋頭に大番衆石出帯刀御□(※「木」+「豕」)御用山田淺右衛門がつとめた。當時勤王志士96名が處刑されている。

吉田松陰先生終焉之地
長門藩士 吉田松陰 先生は兵学に通じ憂國慨世の念篤く萩の松下村塾で多くの人士育成は遂に有爵者6名、贈位者17名、有位者14名といふ著名士を出した。先生は國事を論じた罪により安政6年7月傳馬町牢に囚はれ、同年10月27日時30歳にて惜しくも最期をとげた。






◆大安楽寺

以前訪れたことがある。
2017/06/20 日本橋散歩 02 大安楽寺/江戸屋所蔵刷毛ブラシ展示館/旧日光街道本通り/小津資料館 - ovanの社会科見学










◆十思公園

こちらも以前訪れたことがある。
2017/06/20 日本橋散歩 01 金山神社/小伝馬町牢屋式展示館/身延別院/十思公園 - ovanの社会科見学










◆十思湯

銭湯♪







◆べったら市

情報量が多いので別のページで。
2022/10/19 べったら市 - ovanの社会科見学







◆於竹大日如来井戸跡

以前来たことがある。
2017/10/20 日本橋散歩 神田八丁堀跡/べったら市/於竹大日如来/馬込勘解由の碑 - ovanの社会科見学



 於竹大日如来は、寛永17年(18歳の時)山形県庄内より出て、当時の江戸大伝馬町馬込家の召使いとなる。その行いは何事にも誠実親切で、一粒の米、一切れの野菜も決して粗末にせず貧困者施した。そのため於竹さんのいる勝手元からはいつも後光がさしていたという。出羽の国の行春乗蓮と玄良坊が馬込家をおとづれ
「於竹さんは羽黒山のおつげによると大日如来の化身である。」
とつげた。主人は驚き勝手仕事をやめさせ、持仏堂を造り、その後念仏三昧の道に入る。これが江戸市中に拡がり、於竹さんを拝もうと来る人数知れずと言う。
 
 於竹さんの詠んだ歌に
『 手と足は いそがしけれど 南無阿弥陀仏 口と心の ひまにまかせて 』
延宝8年(1680年)5月この世を去る 行年58

 五代将軍綱吉公の母堂桂昌院の歌に
『 ありがたや 光と共に 行く末は 花のうてなに 於竹大日 』
 於竹さんが愛用し貧困者が市をなしたと言う有名な於竹井戸はこの地にあった。







小伝馬町駅から電車に乗って東新宿へ。
2022/10/19 べったら市 02 区役所通り/稲荷鬼王神社/鈴木三重吉終焉の地/新宿区役所/新高円寺駅 - ovanの社会科見学