2022/10/30 フリートウィーク 横須賀篇 東京駅/横須賀駅/ヴェルニー公園/艦船一般公開/横須賀原子力艦モニタリングセンター/ヴェルニー公園/どぶ板通り/延命地蔵尊/大滝商店街/横須賀中央駅


国際観艦式フリートウィーク2022
会社の同僚と横須賀で一般公開している「いずも」「ひゅうが」「あさひ」を見学。
カレーフェスでカレー食べて帰る。




◆東京駅

横須賀線で横須賀へ!



行幸通り。







横須賀駅



 「汽笛一声新橋を」の歌詞で知られる鉄道唱歌に「汽車より逗子をながめつつ/はや横須賀に着きにけり 見よやドックに集りしわが軍艦の壮大を」という一節があります。
 明治二十二年六月十六日、大船 横須賀間に開通した横須賀線の終着駅、横須賀駅開業当時の駅頭風景を上手に表現しています。
 そのころの横須賀は、現在右手に見える米海軍基地内に、明治十七年に設けられた横須賀鎮守府などの諸施設がある重要な海軍基地となっていました。一方陸軍も、明治十三年から観音崎をはじめとして市内の沿岸各所に着々と砲台を築いていました。 しかし、人員や物資の輸送は、横浜横須賀間の船便に頼っている実情でした。
 明治十九年六月、陸海軍は、鉄道布設の必要性を記した請議書を海軍大臣西郷従道陸軍大臣大山巌の名を連ねて総理大臣伊藤博文に提出しました。 この求めに応じて鉄道局は、翌二十年に測量を開始し、二十一年一月に工事を起こしました。工事費は、明治十九年から始まっていた東海道線建築費から四十万円支出しました。当初終着駅は、観音崎附近へとの要望がありましたが、更に五万円から十万円の予算を必要とするうえ、市街地を通さなければならない等の複雑な問題があり、現在地となりました。
 現在の駅舎は、昭和十五年に新築されたものですが、大正三年に改築した駅舎の面影をよくとどめている貴重な建物です。
 開業当時、汽車はおよそ一時間ごとに発着し、東京 横須賀間に約二時間を要しました。客車は一・二・三等とあり、煙突の長い機関車がそれを引きました。三等運賃は三十九銭で、当時の米価が一升十一銭前後でしたのでかなり高かったようです。乗客数は、明治四十年ごろで一日平均一、八四三人と記録されています。
 横須賀久里浜間は、軍の求めにより、昭和十九年四月に開通したものです。


スカレー像



カレーの街よこすか
日本のカレーライスは、開国を機にインド風ではなく英国風力レーとして伝えられたとされています。 栄養バランスのよいカレーは明治期の海軍の食事に取り入れられ人気メニューとなり現代に引き継がれて来ました。
家庭料理としての力カレーライスは、兵隊さん達によって、全国に広められたと言われています。 海軍と共に歩んだ街横須賀は、全国にカレーを発信した街であると考えています。そして、明治時代に食べられていたカレーライスを現代に甦らせ、ここ横須賀から全国に向け発信をしています。


ホームから見えた「いずも」








◆ヴェルニー公園

公園は同僚と待ち合わせ前に一人で巡ったものと、一緒に巡ったのと2回ある。
情報が多いので前後合わせて別のページで。
2022/10/30 ヴェルニー公園 - ovanの社会科見学










◆艦船一般公開

情報が多いので別のページで。

国際観艦式フリートウィーク2022 艦船一般公開 01 イベント会場
2022/10/30 国際観艦式フリートウィーク2022 艦船一般公開 01 イベント会場 - ovanの社会科見学

国際観艦式フリートウィーク2022 艦船一般公開 02 いずも
2022/10/30 国際観艦式フリートウィーク2022 艦船一般公開 02 いずも - ovanの社会科見学

国際観艦式フリートウィーク2022 艦船一般公開 03 ひゅうが
2022/10/30 国際観艦式フリートウィーク2022 艦船一般公開 03 ひゅうが - ovanの社会科見学

国際観艦式フリートウィーク2022 艦船一般公開 04 あさひ
2022/10/30 国際観艦式フリートウィーク2022 艦船一般公開 04 あさひ - ovanの社会科見学









原子力規制庁 横須賀原子力艦モニタリングセンター

米軍の原子力空母や原子力潜水艦などが寄港することから放射線のレベルを測定しているとのこと。
参考
原子力艦の安全対策に関する取組 - 神奈川県ホームページ









◆ヴェルニー公園

こちらは一人で巡った時のと同じページに!
2022/10/30 ヴェルニー公園 - ovanの社会科見学









◆どぶ板通り

商店街♪



 ドブ板通りを含む横須賀中心地区の商店会は特色のある街づくりを目指して、横須賀になじみの深い有名人の手形レリーフを設置しています。
 今回、ドブ板通りのもつ個性的な街並景観を活かした再開発事業を行うにあたり、新たなレリーフをここに追加いたしました。 今まで以上により親しみやすく、楽しい散歩道になることと思います。




デザインマンホール

このキャラクターは「アクアン」っていうんだね。
横須賀上下水道イメージキャラクターとのこと。

参考
マンホールカードとマンホール蓋【横須賀市上下水道局】
横須賀上下水道イメージキャラクター「アクアン」の紹介









延命地蔵



雨の日、風の日、そして昼も夜も、迷いの辻を往き通う人々をはぐくみ、見守って下さるのが、「延命地蔵尊」であります。 このお地蔵さまについては、『新編相模国風土記稿」(天保十二年=1841年刊)では、「(良長院の末寺として)西往寺 延命山と号す 本尊地蔵是も宝永中(1704~10年)門翁(もんおう)の建る所なり」。また『三浦繁昌記』(明治四十一年=1908年刊)には、「汐留町に在り、朝夕、線香の煙絶えず慈にも茶屋町の女どもが朝に夕に参詣して居る」とあります。この地に祀られたのは、大正十二年(一九二三年)の関東大震災のあとでした。それまでは長い間、今の汐入小学校付近にあって、洞ノ口地蔵尊と呼ばれていました。その辺りは、かって浦賀と江戸を結ぶ「浦賀道」にあたり、また、のちにできた下町へ通じるトンネルの入り口近くでもあったようです。お堂の左手前には、四十五人のお名前を記した関東大震災供養塔や、地元若者のつどい「汐留睦(むつみ)会」の奉納額。
右手前には戦前、近くの火災で亡くなった母子三人の像、それに多くの水子地蔵尊などが、目にとまります。なお、市内不入斗町にお住まいでした直木賞作家・穂積驚さんはお地蔵さまをこよなく愛し、次の句を詠まれました。
  ひとり静(しず) ふたり静 と地蔵尊
延命地蔵尊」は霊験あらたかであります。 その深いご慈悲で「願いが叶えられた」悩みから救われた」「亡き人と語ることができた」といった、経験を持たれる方々がおられます。
ありがたいことです。 お地蔵さまにはぐくまれる私たち、私たちがおせわをするお地蔵さま。
このご縁を、末永く保ち続け、伝えていきたいものであります。








◆大滝商店街

商店街♪
この大きな通りは三崎街道

最善堂

時計屋さんとのこと。
建物がレトロで大変良いので写真を撮った。
隣の煉瓦の建物は「横須賀ビール」
コチラもいいね!










横須賀中央駅

京浜急行電鉄本線横須賀中央駅










天気が良く、大好きな船を観て、海軍カレーも食べられて大満足な一日だった。