2022/11/02 大聖院・西向天神社(東大久保富士)


二つは隣あっていてどこで分ければよいのかわからない。
以前お参りしたことがある。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2018/12/13/033537







◆大聖院

『大聖院(だいしょういん)は、東京都新宿区にある天台寺門宗の寺院。
歴史
創建年代は不明である。元々は現在の埼玉県春日部市に位置しており、その後に現在地に移転している。
当院は修験道との関連が深く、江戸時代は修験道本山派に属し、隣の西向天神社の旧別当寺であった。
明治時代の神仏分離により、西向天神社から分離したが、別当寺という関係もあり西向天神社に関する古文書(『天満宮由緒書』など)も所蔵している。 』
大聖院 (新宿区) - Wikipedia




紅皿の碑

 大聖院に伝来する古文書・古記録類で、宝暦元年(1751)から明治四年(1871)におよぶ二巻五冊一葉である。内容は、大聖院と別当寺をつとめていた西向天神の由緒に関するものが多いが、政7年(1824)の「東大久保村地誌書上帳」や境内にある紅皿の碑に関する「紅皿縁起」なども含まれている。
 点数は少ないが、残存する古文書の皆無な大久保地区にとっては貴重な史料である。




新宿の女 歌碑

私が男になれたなら
私は女を捨てないわ
ネオンぐらしの蝶々には
やさしい言葉がしみたのよ
バカだな バカだな
だまされちゃって
夜が冷たい 新宿の女

www.youtube.com
『1999年に石坂まさをの作詞家生活30周年にあたって、藤圭子のデビュー曲『新宿の女』の歌碑が建てられた。
歌碑の背面には建立の由来として「昭和44年(1969)9月25日『新宿の女』でこの西向天神社より2人の若者が旅立って行き、石坂まさを藤圭子の名は時代を刻み伝説として語られるようになった。心生舎」と記されている。 』
西向天神社 - Wikipedia







◆西向天神社

西向天神社の拝殿にずっとおじさんが張り付いていたので、この写真は以前来た時のを使用した。

『西向天神社(にしむきてんじんしゃ)は、東京都新宿区新宿にある神社である。
祭神 菅原道真
由緒 1228年(安貞2年)に栂尾明恵上人が創建したと伝えられ、社殿が西を向いているため西向天神と呼ばれる[1]。旧・東大久保村鎮守。 』
西向天神社 - Wikipedia




楽殿




大久保菅公廟碑

碑について調べたが詳しい情報が見当たらなかった。




戦没者慰霊碑




石塔





天神山児童遊園

境内の一部は公園になっていた。




鳥居1




鳥居2




鳥居3





◆東大久保富士

境内にあった富士塚






今回撮った西向天神社拝殿。






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2022/11/02 記事アーカイブ





◆大聖院



大聖院文書

 大聖院に伝来する古文書・古記録類で、宝暦元年(1751)から明治四年(1871)におよぶ二巻五冊一葉である。
 内容は、大聖院と別当寺をつとめていた西向天神の由緒に関するものが多いが、文政七年(1824)の「東大久保村地誌書上帳」や境内にある紅皿の碑に関する「紅皿縁起」なども含まれている。
 点数は少ないが、残存する古文書の皆無な大久保地区にとっては貴重な史料である。



紅皿の墓




 太田道灌の山吹の里伝説に登場する少女・紅皿の墓と伝承される中世の板碑(1基)、燈籠(2基)、水鉢(1基)、花立(2基)から構成される。
 板碑は区内で唯一のものとなる中世の十三仏板碑である。また、板碑の前には12代守田勘弥や歌舞伎関係者により石燈籠等が立てられ、その存在が広く知られるようになった。
 伝説では、太田道灌が高田の里(現在の面影橋のあたりとされる)へ鷹狩に来てにわか雨にあい、近くの農家に雨具を借りようと立ち寄った。その家の少女・紅皿は、庭の山吹の一枝を差し出し、『御拾遺集』の中にある「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」の歌にかけて、雨具(蓑)のないことを伝えた。後にこれを知った太田道灌は歌の教養に励み、紅皿を城に招いて歌の友とした。道灌の死後、紅皿は尼となって大久保に庵を建て、死後その地に葬られたという。
 紅皿の墓とされる伝承が江戸時代中頃成立、展開し、幕末維新期を経て広まっていく様子を知ることができ、伝承、文献も含めた史跡として位置づけられ貴重である。




成田山





◆西向天神社



楽殿



鳥居



◆東大久保富士

中には入れなかった・・・・・。
山開きはあるのかな?