2022/11/05 船橋散歩 02 京成大久保駅/京成津田沼第2号踏切道/学園おおくぼ商店街/習志野騎兵旅団記念碑/薬師寺/東邦大学(騎兵旅団兵舎一般公開)/松山光正稲荷神社


前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/11/05/203000
京成本線京成大久保駅まで乗車後散策。






京成大久保駅

京成電鉄本線







京成津田沼第2号踏切道

京成電鉄本線の踏切。



奥に見える駅は上記京成大久保駅







◆学園おおくぼ商店街

商店街♪










習志野騎兵旅団記念碑



明治33年 習志野大久保に設置された騎兵旅団司令部 戦後習志野郵便局に転用
昭和36年 道路拡張のため取り壊された跡地は現在プラザ大久保として市民に利用されている
画製作平成29年3月習志野騎兵連隊史跡保存会




秋山好古(よしふる)と習志野
日本とロシアの間に緊張が高まった明治三十六年(1903年)秋山好古は当時大久保にあった騎兵第一旅団に赴任し、翌三十七年、日露戦争が始まると同旅団長として中国に渡りました。
戦地では、沙河・黒溝台・奉天等の激戦地を駆け巡り、当時世界最強と呼ばれたロシア・コサック騎兵と互角に渡り合い、あるいは凌ぎ、日本軍の危機を幾度も救う活躍を見せました。
司令官でありながら最前戦で指揮を執り、退却時には自らしんがりをつとめた好古の勇姿は、敵味方をこえて評判となり明治三十八年九月、日本とロシアの間に講和条約が締結されると明けて明治三十九年早春、好古は歴戦の痕跡を残す連隊旗と共に堂々と大久保の地に凱旋しました。この戦功により後に日本騎兵の父と呼ばれた秋山好古、そして日本海海戦で赫々たる戦果を上げた
連合艦隊の首席参謀、実弟秋山真之の活躍は世界から驚きをもって称賛され後に小説「坂の上の雲司馬遼太郎著)の主人公として描かれ、現在も多くの人々にその名が知られています。
当時の日本が他のアジア諸国のように西洋列強の隷属や植民地にならなかのは秋山兄弟の功績に負うところが大きく、習志野の地にいた数年間は好古の人生にとっても日本にとっても重要な日々であったことは後の歴史が物語っています。







薬師寺

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2022/11/05 薬師寺 - ovanの社会科見学







東邦大学習志野キャンパス(騎兵旅団兵舎一般公開)

情報量が多いので別のページへ。
2022/11/05 東邦大学習志野キャンパス(騎兵旅団兵舎一般公開) - ovanの社会科見学







松山光正稲荷神社


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続く。
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