2022/11/23 泉屋博古館東京 「板谷波山の陶芸~近代陶芸の巨匠、その麗しき作品と生涯~」


2022/4/30撮影。


細君と陶芸を見に久しぶりの泉屋博古館東京。
今回外観の写真を撮らなかったので以前の写真を使った。






今回のお目当てはコチラ↓

板谷 波山(いたや はざん、1872年4月10日〈明治5年3月3日〉 - 1963年〈昭和38年〉10月10日)は、茨城県出身の、明治後期から昭和中期にかけて活動した日本の陶芸家。本名は板谷 嘉七(いたや かしち)。号は、始め「勤川」、のち「波山」。「勤川」は故郷を流れる五行川の別名「勤行川(ごんぎょうがわ)」に、「波山」は故郷の名山である「筑波山」に因む。
日本の近代陶芸の開拓者であり、陶芸家としては初の文化勲章受章者である。茨城県名誉県民[2]。下館市名誉市民(合併により筑西市への移行に伴い、現在は筑西市名誉市民)。
日本の陶芸は縄文時代からの長い歴史をもつが、「職人」ではない「芸術家」としての「陶芸家」が登場するのは近代になってからであった。波山は、正規の美術教育を受けた「アーティスト」としての陶芸家としては、日本における最も初期の存在である。陶芸家の社会的地位を高め、日本近代陶芸の発達を促した先覚者として高く評価されている。理想の陶磁器づくりのためには一切の妥協を許さなかった波山の生涯は映画化もされている。 』
板谷波山 - Wikipedia






◆撮影可能な展示物



唐花文壺(からはらもんつぼ) (生素地(なまきじ))
1962(昭和37)年
板谷波山紀念館
器面の全体に華麗な唐花文が彫り込まれ、施文の段階が終了した花瓶。彫り上げられた部分は破損を避けるため、丁寧に砥の粉が塗られている。残念ながらこの工程の途中で陶芸家のいのちは尽き、完成されることなく窯の近くに残された。 この素焼のうつわだけが、静かに工房に佇み、亡き陶芸家を待ちわびている。




彩磁更紗花鳥文花瓶(さいじさらさかちょうもんかびん)
1919(大正8)年頃
泉屋博古館東京
宝相華(ほっそうげ)が生い茂る神聖な森に、雌雄の尾長鳥が生息し、仲睦まじく枝の上で羽を休める楽園の風景を薄肉形で表現する。 1905 (明治38) 年頃、 帝室博物館で彦根藩主・井伊家旧蔵 「彦根更紗」 を眺めスケッチし、そこからヒントを得て、 この楽園世界が創出された。






板谷波山氏のお名前はどこかで拝見したことがあると思ったら、田端文士村を訪れたときに見たことがあった。
2016/08/04 part1 田端文士村記念館 - ovanの社会科見学
2018/09/11 王子散歩 09 鉄道神社/東灌守稲荷神社/東田端公園/石碑/田端ふれあい橋/田端駅 - ovanの社会科見学
2018/09/13 田端散歩 02 田端三丁目まちかど広場/田端日枝神社/ポプラ坂/八幡坂/上田端八幡神社/大龍寺/室生犀星旧居跡 - ovanの社会科見学
2018/09/13 田端散歩 04 萬栄寺/江戸坂/童橋公園/室生犀星の「庭石」と「苔」/田端八幡神社 - ovanの社会科見学




実際に田端の旧居跡は巡っていなかったようだ。
google mapには登録されていないね・・・・。
今度訪問してみよう!
まだまだ陶芸の世界はよくわからないが、機会があればまた展示会に行ってみようと思った。
展示は12月18日まで。






泉屋博古館東京のHPはコチラ↓
泉屋博古館東京 <六本木> | SEN-OKU HAKUKOKAN MUSEUM TOKYO




場所はコチラ↓




休館日
月曜日(祝日の場合は翌平日)/年末年始/展示替期間 とありましたが、行かれる方は事前にHPなどチェックしてから行ってくださいネ!