2022/11/27 西早稲田天祖神社


以前、訪れたことがある。
2018/07/30 西早稲田散歩 03 西早稲田天祖神社/面影橋/早稲田水稲荷/堀部安兵衛の碑/聴松亭/太田道灌「駒繁松」 - ovanの社会科見学

西早稲田天祖神社(にしわせだてんそじんじゃ) は、東京都新宿区西早稲田に鎮座している神社。正式名称は天祖神社。 』
西早稲田天祖神社 - Wikipedia






 天祖とは「アマツミオヤ」とも読み極めて尊い神のことで、天皇の遠祖です。古典には彦火瓊杵尊を天祖と称することもあります。
天照大神高皇産霊神、国常立神と称することもありますが、後世に至って、専ら天照大神天祖と申し上げるようになりました。
 江戸時代には神明宮、神明神社と称していましたが、明治3年(1780)の大教宣布により、天祖神社と改められました。
慶応3年(1867)迄は、豊島郡高田村真言宗新義派神霊山金乗院が、別当寺となっていました。
 この天祖神社は豊臣家の遺臣、小泉源兵衛が大阪夏の陣、元和元年(1615)の戦いに敗れ、この地に隠れ住み、荒地を拓き、伊勢の内宮、外宮に参籠して霊感を受け、正保2年(1645)にこの神社を創祀されました。
  境内には
 諏訪神社(祭神建御名方命
 須賀神社(祭神須佐之男命)
 稲荷神社(祭神倉稲魂命
 厳島神社(祭神市杵嶋姫命)
  の四祭神が祀ってありましたが、明治27年(1894)4月、本社普請の時に、合祀されました。その後、大正11年(1922)奥殿、拝殿、神輿倉、神楽殿が改築され、昭和63年(1988)本殿の床上げの修復と神楽殿のみがき石材による玉垣が新調されました。
 天祖神社が創祀されて以来、357年の間、銀杏、欅の大樹の神木と共に、ここに住む人々を見守りながら参拝する人の心の支えとなって来ました。
付記
源兵衛村は江戸文政年間(1816-1830)の戸数28戸、人口約100人、明治5年(1872)の戸数38戸、人口165人でありました





◆神楽殿

2018/07/30撮影。




◆石塔




◆石造手水舎

全て石造なのは珍しいかも。




◆鳥居





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2018/07/30 記事アーカイブ



西早稲田天祖神社




楽殿