2022/12/24 保谷・吉祥寺散歩 06 かくれみの公園/木の花小路公園/濵家住宅西洋館/北町三丁目第2緑地/成蹊学園ケヤキ並木/中村草田男先生句碑/三峰神社

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/12/24/183000




◆かくれみの公園





◆木の花小路公園





◆濵家住宅西洋館



登録有形文化財(建造物)
コチラに詳しく載っていた↓
濵家住宅西洋館 文化遺産オンライン





◆北町三丁目第2緑地

後にある青い建物も興味をそそられる。
調べてもなにもでてこなかったので、ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。
ぺこ <(_ _)>





◆成蹊学園ケヤキ並木



残したい日本の音風景100選 成蹊学園ケヤキ並木
1996(平成8)年7月成蹊学園ケヤキ並木は環境庁の『残したい日本の音風景100選』に選ばれました。
春  新緑の優しく爽やかな葉ずれ
夏  濃い緑の下のしじま
秋  軽やかに舞う落ち葉~
冬  木枯らしの後の一瞬の静寂
四季折々、並木は様々な表情を見せてくれます。あなたは今日、どんな音の風景に出会えましたか?




 このケヤキ並木は、成蹊学園の本市移転に先がけて、大正十三年五月ごろ同一樹齢の若木百数十本を、玉川、用賀、狛江村等から運搬して、植栽したと伝えられています。
 植栽時の資料によれば、胸高周囲約45cmであり、当時の樹齢は三十年前後と推定されます。
 ケヤキとしては、若木に属しますが、各樹木はケヤキの自然的樹型のまま生長し、整然と植栽間隔(約七m)を保った並木で、斉一な大樹の量、形態の美しさ、四季の風景において他の例を見ません。





中村草田男先生句碑



空は太初の青さ妻より林檎受く
昭和21年(1946年) 作
この句には、「居所を失ふところとなり、 勤先きの学校の寮の一室に家族と「共に生活す」という前書があります。 終戦後で食料も乏しく、住宅事情も良くなかった時代に、疎開先から家族を呼びもどして、 成蹊学園の寮で
生活を始めた頃の作品です。

中村草田男(本名 清一郎) 先生
 明治34年(1901年)7月24日~昭和58年(1983年)8月5日
 先生は、昭和8年(1933年) 4月から昭和24年(1949年)3月まで成蹊高等学校(旧制)、昭和24年(1949年) 4月から昭和51年(1976年)3月まで成蹊大学において教鞭をとられました。
 成蹊学園が創立100周年を迎えるにあたり、 句碑がこの地に建立されました。





三峰神社







続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/12/24/193000