2023/01/15 月見岡八幡神社


『創建年代は不明である。ただ源義家の奥州出征の折に戦勝祈願をしたとされることから、11世紀中期には既に存在していたものと推測される。
かつては現在の八幡公園にあったが、区画整理のため、現在地に移転した。移転と同時に旧所在地にあった庚申塔富士塚も移転している。
当社には、社殿の軒下に吊り下げられる仏具「鰐口」が所蔵されている。明治時代の神仏分離政策により、神社が仏具を持つことが禁止されたため、鰐口は行方知れずになってしまったが、1932年(昭和7年)に北海道で発見され、再奉納された。 』
月見岡八幡神社 - Wikipedia


以前訪れたことがある。
2016/12/29 月見岡八幡宮/神田川歌碑 - ovanの社会科見学





豊臣氏の公簿に古跡神社と記載さる当社の創建極めて古く是の地が余戸の郷と言はれし以前旧境内の樹間に湧く溢れ井を錦に染めし月光の華麗さに里人が月の美霊(ミタマ)と崇め敬ひしに創まる神地にして後世三社に座す八幡大神を合祀し奉るに及むで月見岡八幡神社と改稱し今日に至りし●のや

※●の字は読めなかった。





月見岡八幡神社庚申塔
正保4年(1647)に造立された区内最古の庚申塔である。宝篋印塔形で、高さ184.5cm、石質は安山岩である。
塔身部の四面にはそれぞれ金剛界四仏の種子が、また基礎部の四面には造塔銘が刻まれている。

谷文晁の絵
月見岡八幡神社旧社殿の格天井に描かれていた板絵三十数枚のうちの一枚で、縦43.6cm、横42cmの方形の板に描かれた円形(径35.2cm)の絵で、春の野の早蕨が彩色により描かれている。作者は江戸後期の画家谷文晁(1763-1840)と伝えられる。なお、この一枚は、取外されていたため戦災をまぬがれた

谷文晁の絵
月見岡八幡神社旧社殿の格天井に描かれていた板絵三十数枚のうちの一枚で、縦43.6cm、横42cmの方形の板に描かれた円形(径35.2cm)の絵で、春の野の早蕨が彩色により描かれている。作者は江戸後期の画家谷文晁(1763-1840)と伝えられる。なお、この一枚は、取外されていたため戦災をまぬがれた





◆月見岡八幡神社庚申塔

珍しい形の庚申塔だね。





◆笑福稲荷神社






天祖神社





◆北野神社





◆足王神社/道祖神





浅間神社






富士塚(上落合富士)





◆神楽坂





◆鳥居






場所はコチラ