2023/02/06 東久留米・武蔵境散歩 11 うど橋/農業ふれあい公園/境水衛所・玉川上水の碑/境橋(玉川上水)/名勝小金井(さくら)の案内板/水道部第二浄水場

前の日記からの続き。
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◆うど橋





うど橋の碑

判読できない箇所があり、文字化を断念。








◆農業ふれあい公園(旧高橋家長屋門)

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2023/02/06 農業ふれあい公園(旧高橋家長屋門) - ovanの社会科見学







◆境水衛所・玉川上水の碑

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2023/02/06 境水衛所・玉川上水の碑 - ovanの社会科見学







◆境橋(玉川上水)

下は玉川上水










◆名勝小金井(さくら)の案内板



 玉川上水は、承応三年(1654) 玉川庄右衛門・清右衛門によって完成されたが、寛文十年(1670)から、上水路の清浄と美観を保つため、両岸の堤に杉と松を植えその美化に努めたといわれている。桜に植え替えたのは、八代将軍吉宗の元文二年(1737)と伝えられているが、寛保年間(1741~44)とする説もある。大岡越前守忠相の命により川崎平右衛門定孝が、古来から桜の名所であった大和の吉野山と、常陸の桜川から桜の苗種を取り寄せて、今の小金井橋を中心に玉川上水の堤に6kmにわたり植栽したものである。
 植えられた当初江戸の花見客は少なかったが、屋代弘賢 『小金井之記』(文化三年)佐藤一齋『小金井橋観桜記』(文化三年) 大田蜀山人『調布日記』(文化六年)などの紀行・案内記などを通じて関東随一の桜の名所として定着していった。蜀山人は「六十一歳にして初めてこの美観に接した」と激賞している。
 山桜の一大集植地として他に類がなく、山桜の天然変種に富んでいるために花の変化が多種多彩であり、大正十三年「史蹟名勝天然紀念物保存法」により、名勝として内務大臣から指定された。指定当時の桜樹は千四百七十一本で、指定区域は小平市の旧小川水衛所から武蔵野市の旧境水衛所跡までの間の、水路を除く両岸一帯であり、富士山を背景とした桜並木の景観はあまりにも有名であった。名勝指定の背景に、小平村・小金井村・保谷村・武蔵野村の村長を中心として大正二年に設立された「小金井保桜会」の活動や東京大学三好学教授の調査研究の成果によるところが大きかったと伝えられている。
 この地域内において現状を変更する行為をする場合は、東京都教育委員会の同意と文化庁長官の許可が必要です。







武蔵野市役所 水道部第二浄水場









続く。
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