2023/02/19 前沢八幡神社


『元の名称は「正八幡宮」といい、創立は新田義興と伝えられるが、確証はなく年代も詳かでない。寺社調書には、八幡神社と新田神社が併立し建立されたとあるが、元禄11年(1698年)に火災のため焼失し、新田神社の再建は果たせず同所には建立されていない[3]。復興年は正保元年(1644年)から延宝4年(1677年)のころといわれている。『新編武蔵風土記稿』に「八幡社(中略)村内延命の持、当社は先年尾張殿の旅館ありし比、造営せられしと云う」とある。尾張藩の旅館とは鷹場御殿のことである。この時に前沢村の領主だった米津公田盛は、御殿の造営とともに村内の整備も行い、八幡社の造営もこの時になされたものと考えられる。
この神社は楊柳山光明院延命寺別当社で延命寺廃寺後も復飾して神主を勤めていた社である[3]。延命寺は『新編武蔵国風土記稿』の記述によれば、天台宗の寺院で楊柳山光明院と号した。開山・開基については不明であるが、1835年(天保6年)に大円寺東久留米市小山に現存)と合併した。
八幡神社の氏子は、前沢宿、新田と称する地域の住民である。 』
八幡神社 (東久留米市八幡町) - Wikipedia




当社はもと「八幡宮」と称す創立年代不詳なるも鎌倉合戦の将新田義興公の勧請と伝えらる又義興公の像(白馬に跨り弓を持したる木像を安置し新田大明神と称し神殿を建立しありといふ両社火災により焼失したるも八幡宮別当延命寺住職源雄元禄十二年八幡宮を再建す新田大明神は末社十座の内に鎮座す昭和二十九年参拝殿を改修以来前沢村の鎮守として村民の崇敬篤く心のよりどころとなってきた祭神応神天皇神功皇后の御子で大陸文化を導入し古代文化興隆をはかられた御神徳がある又母が子を抱き自分の代りとして此の世に降される母子神の信仰がある

境内神社
金刀比羅神社 例祭 三月十日
八坂神社例祭 七月二十八日
末社十社 本社覆殿に鎮座す




高橋善太郎氏は小金井徳次郎氏の二男となり小金井家世敬神の念篤く氏亦殊に當社産土神を尊崇すること極めて深く頃日その霊徳に感じ一族の無事長久祈願の為め 拍狗街並に其保存金戴百圓を献納せらる鳴呼氏の如きく國風を重んじ神明を尊ふものと謂ふべし愛に事由を記し以て後毘に傳ふと言雨






◆八坂神社






金刀比羅神社






◆鳥居






場所はコチラ