◆芝久保墓地地蔵堂
撃剣家(ぼっけんか)並木先生こと、並木胤繁、通称綱五郎は文政八年(1825) 田無村に生まれました。のちに江戸に通学し千葉周作の門に入り、北辰一刀流の奥伝を許されて帰郷し、無村に道場を開きました。元治慶応年間(1864~67)には多くの門下生を教授しました。
文化・文政期(1804~29)の世情とあいまって、武芸道場は武士・町人・百姓の別なく入門させるようになりました。幕府は再三にわたって町人・百姓の武芸稽古を禁止する「触」を出していますが、幕末になるにしたがい、村の自衛要求とあいまって道場はますます繁栄しました。
綱五郎は明治四年、四十六歳で亡くなりましたが、墓碑に刻まれている三十九人の門下生は、彼の恩得を慕い明治十四年(一八八一)、十周忌にこの碑を建立して冥福を祈りました。門下生には、田無村名主下田半兵衛、医師賀陽済、保谷新田名主平井周作など近郷の村々の村役人を勤めた有力な家筋の名が連なっています。
右側面の碑文は、賀陽済の撰文と書によるものです。
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