2023/03/27 染井西福寺



 真言宗豊山派の寺院で、 藤林山歓喜院と号し、西ヶ原無量寺の末寺である。
 本尊は、徳一大師の作といわれている木造阿弥陀如来立像である。創建年代は明らかでないが、「江戸切絵図」や「江戸名所図会」・「新編武蔵風土記稿」などにも記事があり、駒込に江戸時代から続く寺院である。
 この寺が位置する染井地域は、江戸時代、大名屋敷が多くあり、近くに津藩藤堂家の下屋敷があったことから、その祈願寺となっていた。また、近隣には植木屋も集住しており、その菩提寺ともなっていた。
 かつての境内地は、非常に広大であったが、明治維新後に縮小されたといわれている。
 境内には、明暦元年(一六五五)に造られた六地蔵がある。これは 「六道」すなわち地獄道・餓鬼道畜生道修羅道・人道天道について教えを説くための六体の地蔵が刻まれたものであり、豊島区内では最古のものである。
 墓地には、徳川将軍家の御用を務めた植木屋として名高かった伊藤伊兵衛政武(四代目、宝暦七(一七五七)年没)の墓がある。政武は樹仙と号し、『増補地錦抄』などを著わした、江戸時代の先駆的な植木屋である。この墓所は、東京都史跡に指定されている。





◆慈母観音





◆三界萬霊





◆境内の桜





伊達慶邦公墓址記念碑



 陸奥国仙台藩第十三代藩主伊達慶邦(だてよしくに)公は明治七年(一八七四)逝去され、ご遺体は当寺に納められた。明治二十三年(一八九〇)
に仙台大年寺伊達家墓所へと改葬された。その後、大正九年(一九二〇)に家臣であった佐藤素拙の意思を継ぎ、その子佐藤喜六により墓址記念碑が建
立された。慶邦公報恩謝徳の為、仙台藩士として長く公に仕えてきた佐藤素拙顕彰の為、建立せられたものである。





◆伊藤政武墓



 江戸時代中期の園芸家。 政武は江戸の北、 染井村(現在の豊島区駒込六、七丁目付近)の伊藤三之丞の子として延宝四年(一六七六)に生まれた。号を樹仙という。伊藤家は代々伊兵衛を名乗り近くの伊勢津藩藤堂家の下屋敷に出入りして、庭の世話をしているうちに植木屋となり、江戸第一の種苗商となった。その種苗目録を『地錦抄(じきんしょう)』という。四代目の政武は江戸城にも出入りして将軍吉宗の御用植木師となり、城内の植木を管理していた。日本の園芸が独自に発達したのは江戸時代であり、キク、ツバキ、カエデ、ツツジ類、 アサガオなどの園芸植物が改良され、また、朝鮮や国をはじめ外国からも多くの植物が輸入されている。政武は特にカエデを好み、深山楓に舶来の楓を接き木することに成功した。
 写実的な絵画を得意とし、園芸植物に関する著書に『草花絵前集(くさばなえぜんしゅう)』 『増補地錦抄(ぞうほじきんしょう)』 『広益地錦抄』
『地錦抄附録』などがある。宝暦七年(一七五七)十月二日八一歳で死去した。





場所はコチラ