2023/05/16 早稲田・四谷三丁目散歩 03 専行寺/宝禄稲荷神社/瑞光寺/牛込柳町駅/常楽寺/経王寺

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2023/05/16/200000




◆専行寺

『『牛込区史』によれば、1646年(正保3年)、了察によって開山されたという[1]。一方、当寺公式サイトによれば、1620年(元和6年)、了察によって開山されたとしている。
元々は、現在の東京都千代田区二番町に位置していたが、1718年(享保3年)に現在地に移転した[2]。
「最後の文人画家」と評された松林桂月が、野口幽谷の門下生だった頃、当寺に一時期寄寓していた。松林桂月の貧窮ぶりを見かねて、当寺の住職が部屋を提供したものである。そのため、青年期の桂月の作品が残されている。 』
専行寺 (新宿区) - Wikipedia





◆宝禄稲荷神社(穴八幡宮境外末社)



宝祿稲荷昔話
昔々この地にたいそうくじ運の強い百姓がおったそうじゃ。じゃがこの男初めからくじ運が強かった訳では無く、いつも富くじではせっかく貯めた小銭をつぎ込んでは、すっからかんになってしまいおっかあに怒られて頭があがらんかったそうじゃ。
そんなある日、よせばよいのにおっかあがせっせと夜なべをして貯めた小銭を見つけ、早速江戸の街に富くじを買いに意気揚々と山を下って行ったそうじゃ。
「こいつを元手に一発当てておっかあやガキ達に腹一杯の飯を食わしてやりたいのう。」
じゃが案の定帰りはけつの毛まで抜かれスッテンテンになって山道を重い足取りで帰って来たそうじゃ。
その当時、今の牛込の深い谷を越えて山道を登ってくるとちょうど登り詰めたこのあたりに小さなほこらが有ったそうじゃ。
百姓は、ほこらの前で一休みしながら何と言ってごまかすか思案にくれていたそうじゃ。
財布の中には、外れた宝くじが捨てられずに入っていたので、これをおっかあに見つかったら半殺しの目に遭うと思い、ほこらの前に外れくじを置くと自分の運の無さをなげき、いつかおっかあに楽をさせてあげたいと願ったそうじゃ。
それから何ヶ月かして、小銭の出来た百姓は、また懲りずに夢をいだいて書くじを買いに山を下って行ったそうじゃ。
じゃが今度は、何か違っておった。
百姓は、一番くじを当ておった。
それから何をやってもつきまくり、一家は、たいそう幸せになったそうじゃ。
百姓は、ほこらにお礼を言い、ここに立派な社を建てたのじゃった。
その話を聞きおりをした人が、言うと無くこのを稲荷と呼び、百姓のが自分にも授かるようにと外れくじを置いて拝んだそうじゃ。今ではこの稲は、金銀融通、一陽来復で有名な穴八幡宮末社になり、沢山の方々が運が開けるようにくじを置いておりしていくそうじゃ・・・!






◆瑞光寺


妙福稲荷尊天



山門





牛込柳町

都営大江戸線牛込柳町駅





常楽寺



江戸時代の剣豪 「一刀流」 ゆかりのお寺
伊藤一刀斎景久、小野次郎右衛門忠明、浅利又七郎義信

顕本法華宗常楽寺の歴史
 常楽寺は、常楽院日経上人により、日本橋小伝馬町に創建されたが、慶長十九年(一六一四)に徳川幕府により破却された。その後、元和元年(一六一五)に小野忠明(小野派一刀流流祖)の子、日忠上人が浅草に慶印寺を再興した。
 大正九年(一九二〇)に慶印寺は日忠上人の兄弟子が創建した牛込久成寺と合併し、元の常楽寺として今日に至る。

一刀流
 江戸時代に多くの流派を派生させた一刀流は、伊藤一刀斎景久によって創始されたといわれている。
 一刀流は、現代剣道のルーツともいわれ、その構えも現代剣道に近い形となっている。
小野派一刀流
 小野派一刀流とは、忠也(ただなり)派一刀流・梶派一刀流と同じく、伊藤一刀斎景久に始まる一刀流直系の流派である。この流派を創始したとされる小野次郎 興右衛門忠常は、一刀流正統を継いだ小野次郎右衛門忠明の三男として生まれその後忠常は、徳川三代将軍家光の剣術師範となっている。
中西派一刀流
 江戸時代初期に小野派一刀流忠也派一刀流、梶派一刀流に分派した一刀流の系譜からは時代が進むにつれて、さらに新しい支流が生まれた。そこそが、小野派一刀流を修めた中西忠太予定が創始した、中西派一刀流である。
 代表的な剣豪 浅利又七郎義信






◆経王寺

別のページで。
2023/05/16 経王寺 - ovanの社会科見学





続く。
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