2024/07/17 福生神明社(長徳寺長沢薬師堂・高崎治平翁頌徳碑)





◆神楽殿






◆御神木



御神木 (楠木)
此の巨木楠木二本は今より約百年前に地元在住清水長治氏の御尊父清水寛二氏が敬神の心厚く自から青梅農林高等学校卒業記念に植樹された由緒ある御神木である






◆長沢稲荷神社


神輿庫








芭蕉句碑



春もやや
  けしきととのふ
       月と梅






◆句碑



還暦 福泉舎友甫
これからも
  またおもしろき
       花の春
田村家十一代 田村十兵衛豊昌翁
一八八〇年三月 この句碑を建つ






◆鳥居







◆長徳寺長沢薬師堂

こちらは神社境内?隣接?どっちかわからなかった。
ちなみに少し離れたところに長徳寺があるが関係があるのかわからない。
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
ぺこ <(_ _)>
2024/04/12 長徳寺 - ovanの社会科見学


地蔵






◆神明児童遊園

境内の一部は公園になっていた。


堂川湧水



 この公園西側の道路(神明通り)沿いには、昭和三十八年頃まで『堂川』というきれいな小川が流れていました。
 水源は公園北側の堂坂(上江戸道(かさえどみち))のたもとにあって、一年中涸(か)れることなく鎮守の森の下から湧き出る清らかな泉として、古くから人々の飲料その他の生活用水に利用されてきましたが、この付近で行われた土木工事がもとで湧水がとまり、水源と小川は消滅してしまいました。
 その後、地域住民の間から堂川復活を求める声が繰り返し上がっていたところ、今回多くの人の熱意と協力により、公園内の限られた領域ながら、井戸揚水を使って往時の堂川を偲ばせる新たなる清泉が復活しました。
 かつて 堂坂下から堀端までよ、昔変わらぬ沢の水・・・、と歌われた堂川は、長沢地区の真ん中を南に向い、こんこんと水音もかろやかに人々の身近を流れる小川として親しまれ、岸辺の所々に洗い場を設けるなどして重宝に使われてきました。
 また川には、オババドジョウや沢ガニをはじめ、夏の夜に舞うホタルなど、数多くの生き物たちが川沿いの家々と隣り合わせに暮らしていました。
 心のふるさと堂川は、ここに新たに水のある風景として、大人も子供も共に楽しめる憩いの場となって甦りました。
 なお、遠く縄文時代人も飲用したであろうといわれる堂川湧水には、昔から次のような話が伝えられています。
○その昔、水源のすぐ上のところに念仏堂(薬師堂とも)があったところから、堂川の名がつけられたという(堂坂も同じ)。
〇長沢という地名の起源は、集落の中心を南北に細長く流れていた堂川に由来するものと云われている。
○水源近くに「田ン中」という屋号を持つ家が数軒現存しているが、田ン中とは「田の中」の意で、昔、そのあたり一帯が堂川の水を引いた水田であったからだという。






◆忠魂碑






◆高崎治平翁頌徳碑

こちらは松林通りを挟んで向かい側に建っていた。

参考
高崎治平(たかさきじへい) -福生の養蚕業発展に尽力- | 福生市郷土資料室






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