2019/04/04 善福寺川散歩 06 善福寺川/南阿佐ヶ谷駅/株式会社タマス/杉並消防署馬橋出張所/馬橋消防署前歩道橋/清見寺

善福寺川から離れて南阿佐ヶ谷駅方面に向かう。その後は青梅街道を東へ進んだ。




善福寺川






相生橋の先。
ここから善福寺川を離れる。




南阿佐ヶ谷駅

東京メトロ丸の内線の南阿佐ヶ谷駅
手前の広い道路は青梅街道。





◆株式会社タマス

卓球を少しかじったことがあるので、卓球用品の会社というのはすぐ分かった!
バタフライって社名だと思ってたけど、「タマス」なんだね。




◆杉並消防署馬橋出張所





◆馬橋消防署前歩道橋









清見








 馬橋の灸寺で知られる瑞雲山清見寺は、曹洞宗の寺です。本尊は千手観音像で、中野区の成願寺の末寺です。
 寺伝によれば開創は寛永初年(1624-1635)で、開山は成願寺6世鉄叟雄鷟和尚と伝えます。当寺は開山後しばらくの間、檀家の数も多くはなく、しばしば無住の時もあったといわれ、その詳細はあきらかでありません。
 当寺は元禄年間(1688-1703)火災にあい、現本堂は昭和十一年に改築されたものです。
 文化財としては、馬橋村・阿佐ヶ谷村の村民の奉納した地蔵石像があり、ほかに江戸期に造られた風鐸(青銅鐘形の風鈴)が保存されています。
 寺前の青梅街道は、江戸初期に開かれた杉並地域の幹線道路で、近世のみならず現代でも生活上・産業上、重要な役割を担っています。
 なお、当寺には明治八年から同十七年まで、現在の杉並区立第1小学校の前身である桃園小学校第1番分校(同九年桃野学校として独立)が置かれており、杉並近代教育発祥の地の一つです。




さらに青梅街道を東へ進み、新高円寺駅から北進、高円寺まで歩いて散歩終了。
最近散歩が減ってる・・・・・。
このくらい歩いてもちょっと足が痛い。
鍛え直さねば!!

2019/04/04 善福寺川散歩 05 成宗白山神社/成園橋/成田下橋/成田上橋/御崎橋/善福寺川/相生橋

まだまだ善福寺川沿いに進む。
桜がどんどん増えていく!
テンション上がるね(w




◆成宗白山神社

境内には由緒などは見当たらなかった。
WEBで調べると大宮八幡宮と同じくらい古いらしい。



第六天社/金刀平神社/稲荷神社/御嶽神社






神社前に庚申塔があった。
今回の散歩は庚申塔多いなあ!




◆成園橋





幅が狭いね・・・。




◆成田下橋











◆成田上橋













◆御崎橋







 上流に向って左側の台地が尾崎と呼ばれています。「おさき」とは、突き出した台地の先端(小崎)を指す古い地名で、発掘された石器や土器また住居址からみて、この台地には約8,000年前から人が住んでいたことが知られます。またこの地名に付会して「源頼義 が奥州征伐のため当地を通過した際、源氏の白幡のような瑞雲があらわれ、これが因縁で大宮八幡宮を勧請することになったが、その白幡の見えたあたりを白幡(この付近)、尾のあたりを尾崎と名付けた」(大宮八幡宮縁起)との伝説があります。
 このあたりの風景は、五日市街道を通って小金井の桜見物に出かけた江戸の文人たちの随筆にも書かれており、辻知篤の享和3年(1803)の文には次の様に記されています。
「馬橋村のなかばより左におれて、山畑のかたへのほそき道をゆく。」「つづらおりめいたる坂をくだりて田面の畦をゆく。田の中に小河ありて橋をわたる。これを尾崎橋という。」



善福寺川




御崎橋と相生橋の間。
桜がものすごく綺麗だった!




相生橋










続く。

2019/04/04 善福寺川散歩 04 庚申塔/稲荷神社/和田堀公園/宮下橋/武蔵野園/大成橋/白山前橋

和田堀公園まで南下。その後は善福寺川沿いに進む。桜が満開♪



庚申塔

とくに説明板などは見当たらなかった。




◆稲荷神社




稲荷神社・・・以外に情報は無かった。




和田堀公園










めちゃくちゃ桜が綺麗。



和田堀第六号調節池概要

和田堀第六号調節池は、和田堀調整池群のひとつとして善福寺川の洪水を貯留するもので、昭和57年~58年度に貯留量25.700㎥で設置しました。
(昭和54~56年度に小型調節池【第二、第三号】設置)
また、平成17年9月の集中豪雨のため、平成18~19年度に貯留量を48.000㎥に増強しています。
なお、晴天時は野球場として多も屋的利用しています。




◆宮下橋




反対側はフェンスがあって撮影できない。








◆武蔵野園

建物反対側は釣り堀。





味噌ラーメンとハイボール




色紙がたくさん。




◆大成橋










◆白山前橋










続く。」

2019/04/04 善福寺川散歩 03 大宮夕日ヶ丘広場/大松橋/民間信仰石塔/松ノ木中央公園/にじのいるか保育園 杉並松の木/広場/松ノ木八幡通り商店会

民間信仰石塔(google mapには庚申塔)から南西方向に進む。地図で見るとひとつの大きな公園(和田堀公園)なんだが、その中で幾つかに分かれているんだね・・・・。


◆大宮夕日ヶ丘広場




◆大松橋




下は善福寺川



こちらからは見栄えが悪いね・・・・。




民間信仰石塔






 この墓地に向って右側に建立されている6基の石塔は、右から元禄四年(1691)銘の聖観音塔、享保八年(1723)銘の地蔵塔、宝永五年(1708)銘の庚申塔、そして大正十四年銘・嘉永四年(1851)銘・明治十一年銘の馬頭観音塔です。
 これらの石塔は、道路の拡張により移されて来たものですが、かつては松ノ木2-27にあったといわれています。
 聖観音は種類の多い観音像の中でも最も基本的なもので、衆生の悩みを救済する仏とされています。この塔は区内聖観音塔の中では古いものの一つです。
 地蔵は冥界と現実界の境に立って人々を守護するということから、村の安全を守る仏とされ、村の境や辻などに多く建てられました。この塔の建てられた時期は、地蔵塔建立の盛期の一つで、泰平の世が続き村人の生活にも潤いがでて、信仰へと向う余裕が出て来たことが窺えます。
 庚申塔は体内の三尸の虫が庚申の夜にその人の悪行を上帝に告げ、寿命を縮めるという道教の説から、人々が徹夜で庚申侍をし供養として建てた石塔です。この塔には「二世安楽道行11人」と記され、地元11人の人々によって建立されたことがわかります。
 馬頭観音は、頭の宝馬が四方の四魔を駆逐することを表わしていますが、そのために馬の守護神と考えられ、路傍や馬捨場などに建てられました。
なお、正面に建っている墓石が法華衆日蓮宗)のものであることからこの土地は「ほっけばか(法華墓)」と呼ばれています。




◆松ノ木中央公園








◆にじのいるか保育園 杉並松の木

敷地内に神社が見えるけど、お参りすることができないみたいだった。
桜が綺麗♪




◆広場

公園のようだがマンション(公団?)の敷地だね。
広場に名前はないみたいだった。
コチラも桜が綺麗♪




◆松ノ木八幡通り商店会









続く。

2019/04/04 善福寺川散歩 02 大宮八幡宮/馬頭観音/鞍掛の松/大宮八幡宮参詣道/庚申塔/済美山運動広場/杉並区立郷土博物館

西永福周辺エリアから北東に向かって歩く。



大宮八幡宮





 当宮は古く、江戸八箇所八幡のうちに数えられた大社です。大宮とよばれるのは、往古から広大な境内をもつ社であったことから、社名とも、また鎮座地の地名にもなったといわれています。
 祭神は応神天皇誉田別尊)、仲哀天皇(帯仲彦尊)、神功皇后(息長足比売尊)の3神で、創立については、当宮の縁起(天正十九年(1591)奥付)に、「平安時代末、源頼義が奥州へ出陣の際、当地で白雲が八つ幡のようにたなびく瑞祥をみて、八幡大神の霊威を感じ勝利を得ることができた。この報賽のため康平六年(1063)、この地に源氏の氏神である八幡神を祀ったのが、当宮の起源である。」と記されています。
 南北朝時代貞治元年(1362)十二月、大宮の社僧が紀伊国和歌山県熊野那智大社に納めた願文の写し(米良文書)があり、これによると、その頃から当宮に奉仕する社僧のいたことがわかります。徳川時代には代々朱印地30石を与えられて、大名や武士たちからも武勇の神として崇敬されてきました。
 昭和四十四年(1969)には、善福寺川に面する旧境内地から、首長の墓とみられる方形周溝墓三基が発掘されました。また対岸の松ノ木台地からも竪穴住居あと群や、縄文・弥生・古墳時代の各期にわたる遺物が数多く出土しているので、当宮の周辺は、古くから集落がいとなまれ、その中心地として重要な地域であったことがうかがわれます。
 社宝には、豊臣秀吉の制札・由比正雪の絵額・山岡鉄舟筆の幟・武術練達祈願の額などがあります。



文化財


方形周溝墓出土遺物
 現在、大宮八幡宮清涼殿並びに杉並区立郷土博物館に保管・展示されている遺物は、方形周溝墓(弥生時代の首長クラスの人の墓)内から出土したもので、壺形土器5点、台付土器1点、勾玉1点、ガラス小玉12点にのぼります。土器類は弥生時代後期のもので彩色・精緻な文様が施文され、区内唯一の出土例である玉類は、墓の主体部付近で発見されたこともあり、被葬者が生前装着したまま埋葬されたことを物語っています。


木村常陸介 前田孫四郎 制札
 豊臣秀吉は天下統一に際し、小田原北条氏を包囲中、その支配下にあった八王子城を攻撃し、天正十八年(1590)六月二十三日に落城させました。当宮の宝物殿に納められている制札は、その翌天正十八年(1590)六月二十四日、豊臣家臣木村常陸介・前田孫四郎利長の両部将名で当宮に発給されたもので、境内での殺生、人馬の通行、竹木伐採を堅く禁じています。本制札は、豊臣軍によって当宮の保安がはかられたことを示すものとして、又区内に残る江戸時代以前の唯一の制札として、貴重なものです。


木造随身坐像
 江戸時代中期の大仏師「左近」のさくであるこの木造随身坐像は、もともと拝殿の階段脇に安置されていましたが、現在は当宮の宝物殿に保管されています。本像は若者像と老人像とで対をなし、共に全体的に厚く着色が施され、白色の顔料に朱の唇を描く顔面や衣服の絵柄文様もよく残り、保存も良好と言えます。 
 また、若者像の体内からは製作年、作者・願主を記した銘板が発見され、本像を製作した背景もよくわかります。美術・技術的にも優れ神社関係の彫像としても貴重な資料です。





大宮天満宮





 大宮天満宮菅原道真公をお祀りし受験合格・学業成就の神として信仰が篤く、1月25日は初天神、特に7月25日の納涼天神祭には凡そ200基の書画行燈が点灯され、「時間をはずした日の祭事」として和太鼓の奉納演奏もあり、近年多くの参拝者で賑わい、夏の風物詩となっています。
 東照神君徳川家康公を祀る東照宮徳川幕府や武門の崇敬篤く別格の末社とされてきました。
 天祖神社は”お伊勢さま”をお祀りし、室町時代以降の当宮と伊勢の神宮との強いつながりを示す神社です。また三崎神社と山神社はこの大宮台地の地主神をお祀りする神社で境内社の中では最も古いやしろです。




多摩清水の社





水は生きる上で最も大切なもの、常に敬神と感謝の念をもって御神水を. お受けになり、ご神徳を戴かれますよう. お祈り致します。









大宮遺跡

 善福寺川の南崖上に位置するこの地は、大宮遺跡の発掘地です。大宮遺跡は、都内で初の方形周溝墓が発掘されたことで有名です。
 方形周溝墓は「方形の四方を溝で囲んだ土器時代の古代人の墓」で弥生時代末期のものとされます。昭和四十四年(1969)の発掘作業では3基の周溝墓が発見され、そこから土器や勾玉、ガラス玉等が見つかりました。
 特に壺形土器の配列や底に穴をあけた形状(穿孔土器)からこの遺跡が住居跡でなく、尊貴な者(族長=祖神)の墓域、祭祀遺跡であることが判明しました。
 当時、善福寺川沿いの低地では水田工作が行われていた模様です。そして対岸の松ノ木遺跡には、多くの竪穴式住居跡が発見されています。つまり川や田んぼを挟んで住居と祭りの場を厳密に区分するという観念が当時から存在していたことを示しています。
 この遺跡は、大宮八幡宮の旧社殿地ともほとんど重なり、この一帯が聖域とされていた古代からの信仰がのち大宮八幡宮の創建につながったと思われます。
 大宮遺跡は、発掘後埋め戻されましたが、出土品の一部は当宮清涼殿に展示してあります。






大宮八幡社叢(しゃそう)

大宮八幡宮の参道や社殿を取り囲む社叢です。昭和八年十月に指定されたもので、指定当初は、マツ(クロマツと思われる)やスギの見事な社叢がみられたとされます。
 現在は、ヒノキが最も多く、ヒノキは本殿裏の樹林地に集中しています。全体としてはクスノキシラカシなどの常緑広葉樹、ソメイヨシノなどの落葉広葉樹の広葉樹の社叢へ変わってきています。しかし、隣接する和田堀公園と一体となった樹林帯は貴重な空間となっています。




社叢とは、神社の森。神社に茂っている木々。
鎮守の森



阿波野青畝句碑

広き野に靈(たま)の清水のあるところ



大宮八幡宮は附近から祭祀遺跡が発掘されるなど神代より聖地に相応しいところで、古くは多摩の大宮と称されました。その武蔵野の昔を想望して作られた句。平成元年作。阿波野青畝(あわのせいほ)明治32年生。
俳誌「かつらぎ」主催者。




楽殿




北仲門(赤門)




仲門

後ろにある銀杏右が男銀杏で左が女銀杏とのこと。
今度は秋に来てみよう!



一之鳥居




南参道側の鳥居

桜が綺麗だった。




境内MAP

改めて境内のMAPを見ると境内社がいくつかある。
やはりもう一度来なければだね!




馬頭観音




 昭和三年、陸軍将校が巡視に訪れた際、乗ってきた白馬がこの地で足を骨折し急逝しました。この白馬は宮春号と称し、さる宮家より陸軍将校が下賜(かし)された名馬で、この将校の意思をくんで、この地の旧家五本木鎌吉氏が供養塔を建立し奉(たてまつ)りました。
 また、交通事故の多い交差点のため交通安全祈願、近隣諸氏との絆を深めるために昭和五十六年に馬頭祭世話人が発足し、翌五十七年より第一回の馬頭祭が斎行され、今日に至っております。




◆鞍掛の松






 この前の道は、大宮八幡宮の参道です。
 参道に面して、「鞍掛の松」があります。
 この松の名称は、平安時代の武将・源義家(1039~1106)が、奥州遠征の折、この松の枝に馬の鞍を掛けた、という伝承に由来します。この伝承は、『江戸名所図会』(江戸時代の地誌)にも紹介されています。
 松そのものは代替わりしていますが、こうした伝承が地元に長く語り伝えられてきたことは、この地の歴史の古さを物語るものといえます。





大宮八幡宮参詣道





「あつみ」の文字を見ると写真撮りたくなる(w





庚申塔




特に説明板などは見当たらなかった。





済美山運動広場








桜が綺麗だった♪





◆杉並区立郷土博物館






だいぶ前に来たことがある。
2015/06/10 杉並区立郷土博物館 - ovanの社会科見学




分館にはちょくちょく行っている。
2015/07/15 part2 杉並区立郷土博物館(分館) - ovanの社会科見学



2018 /09/09 杉並区立郷土博物館分館 企画展「杉並銭湯いまむかし つながる人、まち」 - ovanの社会科見学



2018/09/15 杉並区立郷土博物館(分館)「銭湯図解 作画LIVE」 - ovanの社会科見学





続く。

2019/04/04 善福寺川散歩 01 吉祥寺駅/井の頭公園/吉祥寺駅/西永福駅/西永福商店街/地蔵堂/大光寺

4時間勤務アケで、井の頭公園で一人花見をした後、西永福から高円寺まで散歩。
この日記のエリアは井の頭公園と、西永福駅周辺。



吉祥寺駅

スタートのJR中央線吉祥寺駅





井の頭公園

やっぱりここから見る桜は綺麗だよね。
いつかこの季節にボート載ってみたいなあ。











吉祥寺駅

今度は京王井の頭線で西永福へ!




西永福駅




◆西永福商店街




高千穂推しだね。




地蔵堂

大光寺に隣接・・・というか境内になるのかな?




◆大光寺

こんな風に車が突っ込んでたらお参りも出来ないよね・・・。




続く。

2019/04/02 蒲田の銭湯「桜館」へ 池上駅/桜館/池上食堂/浅野屋

24時間勤務アケで、細君と蒲田にある銭湯「桜館」へ!
塩谷歩波さんの「銭湯図解」を読んでいて、行きたくなった銭湯。
この時期限定「桜」がお風呂から見えた。



池上駅

東急池上線池上駅









◆桜館





いつもは銭湯の外観を撮るだけだが、今回は中へ!
銭湯と言ってもここは温泉が出ている。
黒湯でお肌がすべすべになった♪





◆池上食堂




うまい!!




◆浅野屋

なんか「池上 浅野屋」で検索すると二つ出てくるね・・・・。
なんでだろう??





お散歩はここで終了。
家に帰ったら夜まで寝てしまった(w