令和4年 研究所一般公開など

2022年(令和4年)版

2021年はコロナ渦でほぼ全滅でした。
今年4月の科学技術週間もオンラインがメインでした。
ここにきてオンラインとリアル開催の同時開催が増えてきたので久しぶりに更新します。
オンライン開催のみのものは外してます。

私的用にまとめたものなので、情報が間違っている場合があります。
責任は負えませんので、必ずWEBサイトなどで確認してから行ってください。
間違いや漏れている公開情報がありましたら教えてくださると助かります。
私が行く予定のものは「赤文字」にしてあります。

インフラ・文化財等の一般公開情報も少しまじってます。







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5月
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5月26日(木)~5月29日(日)
NHK放送技術研究所 「技研公開2022」
技研公開2022「技術が紡ぐ未来のメディア」









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6月
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6月3日(金)~6月4日(土)
国立情報学研究所国立情報学研究所 研究成果一般公開 オープンハウス」
国立情報学研究所オープンハウス2022





6月10日(金)~6月11日(土)
東大駒場リサーチキャンパス「東大駒場リサーチキャンパス公開2022」
東大駒場リサーチキャンパス公開 2022 | 東大駒場リサーチキャンパス公開は2022年6月10日(金)~6月11日(土)に開催します。





6月24日(金)~6月25日(土)
情報通信研究機構 「NICTオープンハウス2022」
【NICTオープンハウス2022】ニューノーマル社会における「新たなつながり」の創出

2022/05/10  江東区森下文化センター(田河水泡・のらくろ館)


江東区森下文化センターの中に、「田河水泡のらくろ館」があった。



『田河 水泡(たがわ すいほう、1899年〈明治32年〉2月10日 - 1989年〈平成元年〉12月12日)は、日本の漫画家、落語作家。本名:高見澤 仲太郎(たかみざわ なかたろう)。
昭和初期の子供漫画を代表する漫画家であり、代表作『のらくろ』ではキャラクター人気が大人社会にも波及し、さまざまなキャラクターグッズが作られるなど社会現象となるほどの人気を獲得した。元々この名前の読み方は、本人としては田・河・水・泡=た・か・みず・あわ、で“たかみざわ”とぎなた読みで読ませるつもりだったが、「たがわ すいほう」と読まれることが多かったため、自ら“たがわ すいほう”の読みをペンネームにしたとされる。 』
田河水泡 - Wikipedia


『『のらくろ』は、田河水泡の漫画作品、その主人公である野良犬。およびそれを原作としたアニメ作品。』
のらくろ - Wikipedia


のらくろのいる風景




荻窪に住んでいた時もあった。
田河水泡さん|すぎなみ学倶楽部





HPはコチラ↓
森下文化センター | 公益財団法人 江東区文化コミュニティ財団



場所はコチラ↓



休館日
第1・3月曜日(ただし祝日の場合は開館)/年末年始(12/29~1/3)/整備点検日
とあったが、行かれる方は事前にHPなどをチェックしてから行ってくださいネ!

2022/05/10 森下散歩 07 江東区深川江戸資料館/正一位玉照稲荷大明神/清洲寮/清澄白河駅/新高円寺

最終目的地の清澄白河駅を少し超えて周辺を散策。
その後は駅に戻って帰宅の途に就く。




江東区深川江戸資料館

以前来たことがある。
2013/08/29 part1 深川江戸資料館 - ovanの社会科見学








正一位玉照稲荷大明神








清洲

寮とあるが集合住宅である。
以前来たことがある。
2018/02/26 清澄散歩 06 新小名木川水門/昭文社/二代目中村芝翫宅跡/清澄白河駅/高橋/干鰮場跡/清洲寮 - ovanの社会科見学








清澄白河

東京メトロ半蔵門線清澄白河駅









新高円寺

東京メトロ丸の内線新高円寺駅。









散歩の初期に何度か巡ったことがある土地だが、まだまだ知らない史跡などが残っていた。
あれからgoogle mapに登録されたものや、新設されたものなどいろいろあるんだろうね。

2022/05/10 森下散歩 06 エーデルワイス/江月院/雄松院/正覺院(正覚院)/出世不動尊 長専院(浄土宗 不動寺/霊巌寺

少し南へ進んで清洲橋通りに出る。
その後は通りを東へ進む。




エーデルワイス

『株式会社エーデルワイス(英: EDELWEISS Co.,Ltd.)は、兵庫県神戸市中央区三宮に本社を置く日本の洋菓子・パンの製造・販売会社。 』
エーデルワイス (製菓業) - Wikipedia











◆江月院











◆雄松院


度会園女墓(わたらいそのじょ)

園女は斯波一有の妻で大坂にすみ夫妻医業を営んでいた。園女は俳句を芭蕉に学び元禄七年芭蕉が大坂にゆき園女の宅で発病し十月十二日死去した。園女は夫の死後江戸に移住し富岡八幡宮前にすみ眼科医をしていた園女は富岡へ36本の桜を植え歌仙桜と称しそこが桜の名所となった。園女は享保十一年(1727)四月二十日死去し雄松院に葬られた。
墓石につぎの辞世の歌が記されている
  「秋の月 春の曙見し空は 夢かうつつか南無阿弥陀佛」












◆正覺院(正覚院)












◆出世不動尊 長専院(浄土宗 不動寺



 松平定信は、江戸中期の陸奥白河(福島県)藩主であり、天明7年(1787) 老中となりました。
 定信が行った政策は、寛政の改革といわれ、 天明の打ちこわし後の江戸の秩序回復に努めました。 とくに七分積金の制度は、町方入用を節約させ、 不時の備蓄にあてたものです。明治には、東京府の公共事業に役立ちました。
 この霊巌寺にある墓は、 昭和3年に国の史跡に指定されています。


木造阿弥陀如来立像

 長専院の本尊、像高は75.6cm。三尺阿弥陀と称される来迎形式の阿弥陀如来立像です。右手は肘を曲げて掌を前に向けて立て、左手は掌を前に向けて下ろし、両手とも親指と人差し指を捻じ、右足をわずかに前に踏み出して立っています。
 この像の造像技法は、二材以上を規則的に接合して造る「寄木造り」、もしくは「割矧ぎ(わりはぎ)造り」です。眼は水晶をはめ込んだ「王眼」とし、表面の仕上げは、肉親部は金の粉末をニカワに溶かして塗る「金泥(きんでい)」、着衣には漆の上に金箔を貼る「漆箔(しっぱく)」が施されています。全体にバランスがよくとれた優作です。
 形姿と造像技法から、鎌倉時代後期(13世紀後半)の作例と考えられます。保存状態がよく、造立当初の姿をよく残していることは貴重です。













霊巌寺


銅造地蔵菩薩坐像



 江戸六地蔵の由来は、その一っ太宗寺の像内にあった刊本『江戸六地蔵建立之略縁起』によれば、江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり、病気平癒を両親とともに地蔵菩薩に祈願したところ無事治癒したことから、京都の六地蔵に微って、宝永三年(1706)造立の願を発し、人々の浄財を集め、江戸市中六か所に地蔵菩薩
をそれぞれ一躯ずつ造立したと伝えられています。各像の全身及び蓬台には、勧進者、その造立年代などが陰刻されており、神田鍋町鋳物師太田駿河守正義によって鋳造されたことがわかります。六地蔵のうち、深川にあった永代寺の地蔵菩薩(第六番)は、慶仏毅釈で取り壊され、五躯が残っています。
 六地蔵のうち、霊巌寺の地蔵は第五番目で、享保二年(1717)に造立されました。他の六地蔵に比べ、手の爪が長く、宝珠を持つ左手の指のうち、四本の指が密着した形になっています。像高は、273cmあり、かつては鏡金が施されており、所々に金箔が残っています。
 江戸時代中期の鋳造像としては大作であり、かつ遺例の少ないものであることから文化財に指定されました。


松平定信



 松平定信(1758~1829)は八代将軍德川吉示の孫、田安宗武の子とーて生まれ、陸奥白河藩主となり、白河米翁を号していた。
 天明七年(1787)六月に老中となり寛政の改革を断行、寛政五年(1793)老中を辞している定信は老中になると直ちに札差(ふださし)統制(旗本・御家人などの借金救済)七分積立金(江戸市民の救済)などの新法を行い、幕府体制の立て直しを計った。また朱子学者でもあり、「花月草紙」「宇下の人言」「国本論」「修身禄」などの著書もある。


勢至丸さま

法然(ほうねん、長承2年(1133年) - 建暦2年(1212年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧である。はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。法然房号で、諱は源空、幼名を勢至丸[2]、通称は黒谷上人、吉水上人とも。
諡号は、慧光菩薩・華頂尊者・通明国師・天下上人無極道心者・光照大士である。
大師号は、500年遠忌の行なわれた正徳元年(1711年)以降、50年ごとに天皇より加諡され、平成23年(2011年)現在、円光大師、東漸大師、慧成大師、弘覚大師、慈教大師、明照大師、和順大師、法爾大師の8つであり、この数は日本史上最大である。
選択本願念仏集』(『選択集』)を著すなど、念仏を体系化したことにより、日本における称名念仏の元祖と称される。
浄土宗では、善導を高祖とし、法然を元祖と崇めている。
浄土真宗では、法然七高僧の第七祖とし、法然聖人/法然上人、源空聖人/源空上人と称し、元祖と位置付ける。親鸞は『正信念仏偈』や『高僧和讃』などにおいて、法然を「本師源空」や「源空聖人」と称し、師事できたことを生涯の喜びとした。 』
法然 - Wikipedia


石塔など


霊巌寺交通安全地蔵尊


山門











続く。

2022/05/10 森下散歩 05 ジャノメビル/常盤湯/常盤二丁目児童遊園/萬年橋/旺文社/大黒稲荷神社

清澄通りにぶつかったら今度は南進。
萬年橋で小名木川を渡ったところで小名木川に沿って西へ進む。




◆ジャノメビル

こういうのもあるんだねー
蛇の目、などと一緒にWEBで調べると結構出てくる。
あちこちにあるようだが、不動産情報がメインで経緯などはわからなかった。
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
(o*。_。)oペコッ









◆常盤湯

銭湯♪










◆常盤二丁目児童遊園









◆萬年橋



小名木川水門が見える。





 万年橋は、区内の橋のなかでも古く架けられた橋のひとつです。 架橋された年代は明らかではありませんが、 延宝八年 (1680)の江戸図には「元番所のはし」として記されているので、この頃にはすでに架けられていたことがわかります。
 江戸時代には、この橋の北岸に小名木川を航行する船を取締る、通船改めの番所が置かれていました。この審所は、 寛文年間 (1661~73)の頃に中川口へ移され、このため「元番所のはし」 とも呼ばれました。
 小名木川に架けられた橋は、船の通航を妨げないように高く架けられていました。万年橋も虹型をした優美な橋で、 安藤広重は「名所江戸百景」のなかで 「深川万年橋」 としてとりあげています。 また、 葛飾北斎は 「富猿三十六景」のひとつに「深川万年橋下」 として、 美しい曲線を描く万年橋を大きく扱い、その下から富士山を望む、 洋画の影響をうけた錦絵を残しています。


川船番所

 川船番所(かわふねばんしょ)は幕府により設けられた番所で、万年橋の北岸に置かれ、川船を利用して小名木川を通る人と荷物を検査しました。
 設置の年代は明らかではありませんが、正保4年(1647)に深川番の任命が行われていることから、この頃のことと考えられています。江戸から小名木川を通り利根川水系を結ぶ流通網は、寛永年間(1624~1644)にはすでに整いつつあり、関東各所から江戸へ運ばれる荷物は、この場所を通り、神田・日本橋(現中央区)など江戸の中心部へ運ばれました。こうしたことから、江戸への出入口としてこの地に置かれたことと思われます。建物の規模などは不詳ですが、弓・槍がそれぞれ5本ずつ装備されていました。
 明暦三年(1657)の大火後、江戸市街地の拡大や本所の堀割の完成などに伴い、寛文元年(1661)中川口に移転しました。以後中川番所として機能することとなり、当地は元番所と通称されました。


ケルンの眺め



 ここから前方に見える清洲橋は、ドイツ、ケルン市に架けられたライン川の吊橋をモデルにしております。
 この場所からの眺めが一番美しいといわれています。


公園

橋のたもとは公園になっていた。




鬼平犯科帳 鰻(うなぎ)の辻売り忠八 跡



google map のマークは上の写真のところあたり。
萬年橋のすぐそばだった。
現地には説明版など何もなかった。


お店の情報はこちらのサイトにあった。
鰻(うなぎ)の辻売り・忠八: 『鬼平犯科帳』Who's Who


近くにあった地図









◆旺文社

『株式会社旺文社(おうぶんしゃ、Obunsha Co., Ltd.)は、1931年(昭和6年)に創業した教育専門の出版社。』
旺文社 - Wikipedia









◆大黒稲荷神社

中へ入れなかったので外からお参り。










続く。

2022/05/10 森下散歩 04 竹の湯/ノーベル賞受賞顕彰記念碑/高森公園/江東区森下文化センター/東京消防庁森下家族待寄宿舎/高橋夜店通り

高橋夜店通りをどんどん西へ。
途中から商店街になった。





◆竹の湯

銭湯♪










ノーベル賞受賞顕彰記念碑



研究業績 天然物有機化学の世界的権威で、世の役に立つ新規天然有機化合物の発見を目指して独創的な研究を推進し、約500種の微生物由来の新規化合物を発見。それらのうち、26種が医薬、動物薬、農業用薬剤および生物化学研究用試薬、として広く世界で使われている。中でも抗寄生虫薬イベルメクチンは熱帯病のオンコセルカ症およびリンパ系フィラリア症の予防・治療薬として、また、沖縄地方および東南アジアに多くの罹患者がいる糞線虫病、そして有効な治療法のなかった疥癬の治療薬などとして年間約三億人に使われ、人類の福祉と健康の向上に多大な貢献をされた。
加えて大村教授の研究業績は生命現象の解明、有機化学の発展並びにバイオテクノロジーの発展に極めて大きなインパクトを与えるとともに、新しい微生物創薬への道を切り開いた。









◆高森公園


旭焼製造場跡・瓢池園陶磁器工場跡

 明治以降、日本〈新しい上絵具や顔料等が伝わり絵付の技術が向上し、陶磁器に精緻な表現が可能とりました。これらの陶磁器は輸出用に製造され、深川にも二つのエ場がありました。
 旭焼製造場は、渋沢栄一らが出資・結成した旭焼組合)にょって、明治二十三年(1890)に深川区東元叮一四番地(森下三-一三)に設けられました。旭焼はドイツ人技師ワグネル の指導を受けた人たちが日本画のモチーフを素地に絵付し、その上に私薬を掛けて焼成したものです。旭焼製造場では、主に暖炉の装飾タイ ルか製造されました。
 瓢池園は、明治六年に深川森下町三七番地(森下三一五)に設立された陶磁器の絵付工場です。瀬戸や有田等の産地から素地を買い入れ、絵付を施し、焼成しました。工場は二度の移転(森下四-二四・二五、墨田区菊川一-六)を経て、明治二八年には買収した旭焼製造場 の土地〈移りました。明治三二年に絵付部門、同三六年に美術工芸部門を愛知県名古屋市に移し、絵付部門は明治四二年に森村組(名古屋市)が設立した日本陶器合名会社に統合されました。










江東区森下文化センター(田河水泡のらくろ館)

別の日記で!
2022/05/10 江東区森下文化センター(田河水泡・のらくろ館) - ovanの社会科見学








東京消防庁森下家族待寄宿舎

なかなかのデザインだね!
設計者など調べたがWEBではわからなかった。









◆高橋夜店通り











続く。

2022/05/10 森下散歩 03 住吉駅/祠/亀の湯/猿江橋/八百霊地蔵尊/宮田製作所跡

住吉駅西側エリアを散策。
大横川も渡り、どんどん西へ進む。







住吉駅

東京メトロ半蔵門線住吉町駅。












◆祠

こちらは完全に私有地の中にあるので外からお参り。










◆亀の湯

銭湯♪











猿江

下は大横川。





公園




大横川

 大横川は横川ともいい、万治二年(1659年)德山五兵衛重政、山崎四郎左衛門重政の本所奉行によって、本所深川埋立をおこなったJ 開削された。
 大橫川は当時、墨田区向島一丁目と吾妻橋一丁目との隅田川分岐点から東流し、北十間川に接する点から南下して本区に入る。住吉一丁目および猿江一丁目を左岸とし、森下五丁目を右岸とし、木場五丁目付近において西へまがり、永代一丁目と越中島一丁目の間を通り、隅田川と合流する延長7.11キ口メートル、巾20ないし35メートルからなる本区における最長の河川である。
 なお、江戸城から見て横に流扎るので大横川と名づけられた。










◆八百霊地蔵尊



昭和二十年三月十日大東亜戦争による米軍東京大空襲により一朝にして犠牲となった当時の深川高橋五丁目の町民八百余名の霊を慰めるため昭和二十一年生存者町民有志によりこの地蔵尊が建立された
この由来を後世に伝へ併せて恒久の平和を祈るため三十周忌を記念してこの碑を建てた











◆宮田製作所跡



 宮田製作所は、宮田栄助(1840~1900)が、明治十四年(1881)に京橋区木挽町一丁目(現中央区銀座)に創設Lた宮田製銃所から始まりました。
 栄助はもと笠間藩抱元の鉄砲鍛冶師で、廃藩後、砲兵工廠に勤めながら資金を貯え、資本家大倉喜八郎の後援を得て工場を開設しました。当地(本所区菊川町)に工場を移Lたのは明治二十三年(1890)のことで、次男政治郎(1865~1931 後の二代目宮田栄助)が協力しました。
 政治郎は父と同じく鉄砲鍛冶の修業経験をもつ在来技術者の一人でしたが、田中久重工場(東芝の前身)などに勤めたことから近代的技術にも通じ、外国人からの依頼を受けて自転車修理を手がけるようになりました。
 新工場の開設後は旋盤など先進的な工作機械を導入L、新式猟銃の開発。量產に努めていましたが、狩猟法改正の影響などもあって国産猟銃の需要は減退し、新たな産業を興す必要が生じました。そこで自転車生產を主力にすべく、政治郎は方向転換を計った のです。政治郎は鋼棒を穿孔する銃身製造技術を活かし、工場移転後、安全型自転車の試作に成功しました。
 明治三十三年(1900) には商号を宮田製作所に改称し、同三十六年にはアメリカ製の自転車をモデルとした 「旭号」 を第五回内国勧業博覧会に出品して高い評価
をうけ、以後、本格的に自転車の製造を手がけるようになりまし製造を手た。











続く。