2024/03/13 羽前大山散歩 05 薬王堂/薬師神社/十二神社/主婦の店/幸楽苑/晩御飯

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/13/193000






薬王堂

『株式会社薬王堂(やくおうどう)は、岩手県を中心にドラッグストアを展開する企業』
薬王堂 - Wikipedia

初めてみたなあ。
東北のみで関東には無いもよう。
店舗一覧|薬王堂 - あなたのちかくに。-







薬師神社

この奥にあるとおもったのだが、私有地だったので諦めた。
後でよく地図を見てみたら、別の道から行くみたいだった。







◆十二神社

別のページで。
2024/03/13 十二神社 - ovanの社会科見学








◆主婦の店

ここでよく本を買ったのを覚えている。
ここでだだちゃアリーナでグランドゴルフしていた親父と合流。







幸楽苑

美味しかった♪







◆晩御飯

海の幸♪山の幸♪








久しぶりに自分が通った高校あたりを散歩。
google mapを見なければたどり着けなかったことにビックリ。
卒業してから●十年だものなあ・・・・・。

2024/03/13 羽前大山散歩 04 新民館/皇大神社/松倉山馬頭観音/富士酒造/道林寺/皇神社/旧醤油屋丸谷義左衛門宅跡

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/13/190000






◆新民館

別のページで。
2024/03/13 新民館 - ovanの社会科見学







皇大神社








◆松倉山馬頭観音

別のページで。
2024/03/13 松倉山馬頭観音 - ovanの社会科見学







◆富士酒造

HPがあった。
酒造見学は受け付けていないとのこと。
残念。
[公式]栄光冨士|冨士酒造株式会社








◆道林寺


鐘楼


地蔵や石塔等


山門







◆皇神社







◆旧醤油屋丸谷義左衛門宅跡

参考
羽州浜街道1



場所はコチラ

説明版などもなく、場所もこちらで合っているか確認が取れなかった。
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。
ぺこ <(_ _)>





続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/13/200000

2024/03/13 羽前大山散歩 03 明治橋/諏訪菓子舗/協立大山診療所/松尾神社/大山公園/旧鶴岡西高等学校/稲荷神社

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/13/183000





明治橋

下は大山川。








◆諏訪菓子舗






◆協立大山診療所






松尾神社



神社の創建は不詳であるが、天正年間(1573~1592)京都松尾大社より勧請されたと伝えられており、祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、後に天照大神・椙尾大神が配祀され「四柱神社」とも言われておりました。
神大山咋神は特に醸造の神として崇敬され、毎年七月十五日に祭礼がおこなわれ、戦前には出店が立ち並び宵祭に相撲、本祭に芸能が奉納されて、大山一町の祭としては最もにぎわった祭でありました。
享保六年(1721)には大山の酒造家四十二戸ほかに八戸の休株を数えており、文化五年(1808)世間不景気と米価高騰のため酒の売れゆき悪く、仕入れ困難となり、酒造家らは稼業再興のため加盟者三十九人で無尽「松尾講」を始め以後再び力をもりかえし、酒の町大山の名が蝦夷地越後・東北・江戶にまでとどろいたのでありました。
社殿は安政二年(1855)再建されたもので、その後、随時改修の手が加えられ、平成二十七年(2015)多くの方々のご協力で社殿の大改修が実施されました。


賀茂川稲荷神社







◆大山公園

別のページで。
2024/03/13 大山公園 - ovanの社会科見学






◆旧鶴岡西高等学校



 本校は昭和二十三年働きながら学ぶ向学心に燃える青年のために県立大山高等学校として発足した
当時は定時制の課程として普通農業科家庭科の三課程が設置されていた
しかし時代の要請により和三十一年から順次全日制の裾に移行し昭和三十九年に校名を県立鶴岡西高等学校と変更した
尾浦城の大山公園を背に自然豊かな学習環境で学び鍛え育った卒業生は約九千名に及ぶ
ここに五十年の校史を閉じるにあたり輝かしい歴史と伝統を偲び地跡のこの地に記念碑を建立する


校門があったあたり


学校前

パン屋さんがあったような気がするが・・・・。






◆稲荷神社



 創始年代は天文年間(1532~1554)荘内の地頭(領主)武藤氏が城を大山公園に築いて以来稲荷大明神として城内の鎮守として祀られていたと伝えられている。
武藤氏亡び最上氏、酒井氏を経て寛文九年(1669)幕府の領となり、この地に陣屋(代官の居所兼役所)が設けられた。
延宝年代(1673~1680)に大山公園に座した稲荷社を陣屋敷地に遷座し今日に至っている。
享保二十一年(1736)時の代官、日野小左エ門が神祇官に願い出て「宗源宣旨正一位」を賜り「お陣屋のお稲荷様」と称した。
社殿は嘉永五年(1852) 改造、平成十九年改築されたものである。



三吉神社屋根瓦修復への御芳志のお願いについて
 各位に置かれましては、益々ご清栄にお過ごしのこととご拝察申し上げます。
 さて、 当社 「三吉神社」 (山形県鶴岡市大山加嘉山公園内太平山地内) は、 後に羽州の太守となった武藤氏が岩清水八幡より尾浦城内に勧請し、 天正11年(1583) に部下の前森蔵人(後の東禅寺筑前守氏永) の謀反により自刃し果ててより、江戸時代において酒井備中守忠解 (父庄内藩初代藩主酒井忠勝)大山城主となり、 小祠を再興し祀ってきました。 その後に世継ぎなくして急死し、 幕府より改易の断を下され天領となり、 廃城の本丸跡地に社殿を配し、享保年中 (1716~1735) に秋田三吉神社からの勧請をいただき、 今日に至っております。
 勧請を受けた後の文政12年(1829) に雪のために大破損し、 その年に社殿を再建し、11月に竣工式を挙げ、 八幡大神末社として奉祀しました。 また、 元治元年(1864)から明治元年(1868) にかけて現在の社殿を造営し、今に至っております。
 以来、 150年余に亙って風雪に耐えてきましたが、 屋根瓦の破損等による雨漏りの被害が発覚しました。 その文化的価値 (社殿の造りや後藤重太郎定融作の彫刻) を後世に遺す上からも、 修復事業をいたすべく実行委員会を立ち上げました。
 その修復費用としては、2千万円の見積もりとなっており、広く各位様のご芳志をいただきたく、下記の通りの仕方をご提示いたしますので、何卒、ご協力いただきます様、お願い申し上げます。
 尚、 受付期間は令和5年10月7日 (土)より令和5年12月17日(日)までといたしますので、ご承知置きくださいます様、重ねてお願い申し上げます。
 尚、全国展開の「クラウドファンデング」についても実施するつもりですが、 ただ今、業者の方との打ち合わせをしているところでありまして、それが整いましたところで、お知らせ申し上げ、 実施することとなっております。


石塔


小祠




鳥居






続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/13/193000

2024/03/13 羽前大山散歩 02 TDK/山田遺跡/郭超橋/工場跡/羽前大山駅/天保恵公園/鶴岡市デザインマンホール

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/13/180000






TDKエレクトロニクスファクトリーズ(株)鶴岡西工場

TDK株式会社(ティーディーケイ、英: TDK Corporation)は、日本の電気機器製造会社である。日経平均株価の構成銘柄の一つ。日系企業売上高ランキング89位(22年度3月期)。 』
TDK - Wikipedia







◆山田遺跡

参考
山田遺跡発掘調査報告書 - 全国遺跡報告総覧

古墳時代の集落跡のようだね。
こんな遺跡があるなんてまったく知らなかった。







◆郭超橋

上は県道338号線。
下は羽越線







◆工場跡

難の工場なのか調べてもわからなかった。
ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。







羽前大山駅

JR羽越線羽前大山駅



本数少ないねぇ・・・・。



無人駅になってた。
僕が高校に通っていたころは友人だったのになあ・・・・。


駅前







天保恵公園


竣工記念碑

この地区は鶴岡市大山天保土地区画整理事業として整備施行されたものである。







鶴岡市デザインマンホール



奥に見える橋は次のページの「明治橋







続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/13/190000

2024/03/13 羽前大山散歩 01 出羽ノ雪酒造資料館/大山橋/皇大神社/向町公園/岡谷地稲荷神社/大山団地/鶴岡市デザインマンホール


父に大山まで送ってもらい、通っていた高校があった鶴岡氏の大山を散歩。






◆羽ノ雪酒造資料館

別のページで。
2024/03/13 出羽ノ雪酒造資料館 - ovanの社会科見学







◆大山橋

下は大山川。




山頭火句碑

橋のすぐ近くにあった。
種田三頭火1882~1940
自由律の俳句を作った
享年59
「月が酒がからだいっぱいのよろこび酒山頭火
と刻まれている。

『種田 山頭火(たねだ さんとうか、本名:種田 正一(たねだ しょういち)、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、日本の自由律俳句の俳人山頭火とだけ呼ばれることが多い。
山口県佐波郡(現在の防府市)生まれ。『層雲』の荻原井泉水門下。1925年に熊本市曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。各地を放浪しながら1万2000余りの句を詠んだ。  』
種田山頭火 - Wikipedia







皇大神社








◆向町公園








◆岡谷地稲荷神社









◆大山団地







鶴岡市デザインマンホール

もっときれいなのがあったので別のページで。








続く。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/13/183000

3月4日~3月10日(我孫子)

写真
八坂神社@我孫子
旧村川別荘@我孫子
延寿院@我孫子

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3月4日(月)晴

24時間勤務(当務3)

10237歩

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3月5日(火)曇り/雨

24時間勤務アケで・・・。

高円寺整形外科へ行く。
突き指(マレットフィンガー)まだ治らず。
新しく固定具を作ってもらった。

7831歩

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3月6日(水)曇り

休み♪

ビデオ・ブログ作業。

3173歩

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3月7日(木)曇り

24時間勤務(当務1)

7602歩

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3月8日(金)雪/曇り

24時間勤務アケで・・・。
消防訓練。
15:45までかかった。

13487歩

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3月9日(土)晴

休み♪

我孫子散歩 01 高円寺氷川神社/我孫子駅/我孫子駅前/八坂神社/お稲荷さん/祠
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/09/200000

我孫子散歩 02 慰霊塔/我孫子駅南口東公園/大光寺/従是子神道碑/我孫子宿本陣跡/我孫子市デザインマンホール
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/09/200000_1

我孫子散歩 03 旧我孫子宿名主邸・小熊邸/我孫子宿、水戸道、成田道追分/金八稲荷神社/子之神 大黒天「山門(開山一千年紀念)」/旧村川別荘
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/09/210000

我孫子散歩 04 延寿院/名戸ヶ谷あびこ病院/我孫子市役所/我孫子東邦病院/寿商店会/我孫子駅
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/03/09/213000

16302歩

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3月10日(日)晴

24時間勤務(当務1)

8799歩

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SONY reader

休み。

2024/03/09 延寿院


『創建年代は不明である。元々は我孫子宿の中心部にあり、子之権現社(子之神大黒天)の別当寺であった。
1918年(大正7年)、別当寺の縁で子之神大黒天の敷地に移転し、一体化することになった。10月下旬になると、「柴燈護摩火渡り」と呼ばれる火渡りが執り行われる。 』
延寿院 (我孫子市) - Wikipedia






奥の院



子の神様と柊(ひいらぎ)
 村上天皇の康保元年甲子年(九六四)正月八日子ノをもって宥敬阿闍梨はじめてここに、仏法の縁地として尊体を安置した。
 源頼朝が下総遊説の途上、我孫子の里で不幸にも脚気に掛かり、沼辺の農家に身を寄せたある日のこと、頼朝の夢枕に大きな白ねずみに乗った白髪の翁がひいらぎの葉を持て現われ、「われはこの地の鎮守子の権現の化身である。今日只今、われ因縁によりて汝を救うところなり」と言ながら、ひいらぎの葉を胸から下半身へかけ三べんお祓いするや、不思議にも快癒した。
 征夷大将軍についたとき、お礼として社殿を造営し、社領を与え、手植えの松と共に柊を植え、神木とした。









七福神









◆かねのわらじ



ここの本尊子之神さまは常に諸病を除去し、一切の宿願を叶えてくれる
威神力を持つ神とされ特に腰下の疾患にはご利益があるとされています。
この胸腰の象徴であるわらじは健全な永い人生の歩みを表したとえどんな茨な道でもすり切れることも無くまして小判の形を踏み残すという云われであります。









大黒堂









◆大師堂38番









◆大師堂43番









◆子の神古墳群

 子の神古墳群は手賀沼を見下す寿の台地に所在し、一墓の前方後円墳と十三基の円墳からなる群集墳で、六世紀初頭から末にかけて造られたものである。
 いずれの古墳も埴輪を持ち、市内でも代表的古墳群である。









◆子之神寄進坂







◆山門









場所はコチラ