2024/03/13 新民館





この建物は大山尋常高等小学校校舎として明治三十五年陣屋川南に一五〇〇坪の用地を求め、四四七坪六合の建坪で建築された本校舎二階バルコニーを含む正面部分を保存したものであります。
明治の名匠の手になる豪壮を誇った校舎でありましたが、建物の老朽化、新潟地震の大被害のこともあり、新しい校舎を建て古い物は取り壊すという話になり、これに対し大山の教育の殿堂学校教育の原点、明治時代の学校建築の典型として評価され文化財としての価値もある校舎の印象を後世に残し、種々活用の途をひらくべしとの声が上がり、「新民館保存会」が結成され、地域住民の協賛と鶴岡市よりの援助により昭和四十六年学校前面右方に移築されたのでありました。
本校は明治九年八月二十三日新民学校として新設され明治二十年三月までは新民学校と言っており、これが「新民館」の名称の由来であります。
昭和五十一年大山小学校同窓会の再発足により、その維持管理を保存会より移管して参りました。
今回の学校大幅改築計画によりふたたび移転の止むなきにいたり記念事業実行委員会をたち上げ、各事業の担当部会を組織しその方々の奉仕尽力によりご覧いただきます通りの威容をととのえる事ができました。
鶴岡市当局の英断に深甚な敬意を表しつつ、恵まれた自然環境教育環境の中で大山の子供達が無限の可能性を胸に、健やかに育ちゆくことを念願するものであります。





学童疎開報恩碑





学校前