2023/07/20 神楽坂・市ヶ谷散歩 01 神楽坂駅/矢来公園/泉鏡花旧宅跡/北山伏児童館/尺家旧居跡/東京府立第四中学校の跡


24時間勤務アケで、東京メトロ東西線神楽坂駅から同じく丸の内線四ツ谷駅まで散歩。
その後、同じく丸の内線西新宿まで電車移動し、中野坂上駅まで散歩。





神楽坂駅







◆新宿区立矢来公園

別のページで。
2023/07/20 新宿区立矢来公園 - ovanの社会科見学





泉鏡花旧宅跡



 ここは、明治時代から昭和初期にかけて、日本文学に大きな業績を残した小説家・泉鏡花が四年間住んだ旧居跡である。
 鏡花は本名を鏡太郎といい、明治六年(1873) 石川県金沢市で生れた。十六歳の頃より尾崎紅葉に傾倒し、翌年小説家を志し上京、紅葉宅(旧居跡は新宿区指定史跡・横寺町四十七)で玄関番をするなどして師事した。
 この地には、明治三十二年(1899)から明治三十六年(1903)まで居住し、代表作『湯島詣』『高野聖』などを発表した。『湯島詣』はのちに天人となった神楽坂の芸妓ももたろうによって知った花街を題材としており、新宿とゆかりの深い作品である。





◆北山伏児童館

新宿区の施設。
HPがあった。
北山伏児童館:新宿区






◆尺家旧居跡



尺振八の業績
 尺振八は、天保十年(1839)江戸神田佐久間町に生まれた。安政の末頃、中浜万次郎(ジョン万次郎)に英語の手解きを受け、西吉十郎に文典を学び、米人について勉強した。文久元年(1861)幕府の外国方通弁官に任じられ、米国公使ハリスの頃公使館勤務となった。同三年(1864)文久の遣欧使節の随員となり、フランスへ赴いた。慶応三年(1867)遣米使節の随員として、福沢諭吉らとともに渡米した。ホワイトハウスを訪問し、A・ジョンソン大統領夫妻に謁見した。慶喜将軍から大統領宛のメッセージを振八が英訳して、大統領の面前で口述した。将軍宛の返書を振八が翻訳して持ち帰った。
 明治初年牛込北山伏町に430坪を求め、ここに住居を定めた。同三年(1870)本所相生町に私塾共立学舎を開設し、島田三郎らの優秀な弟子を養成した。また、大蔵省翻訳局長となった。スペンサー教育論、富国論を翻訳し、明治英和辞典の訳述中、明治十九年(1886)熱海で病没した。
 途中、明治十九年(一八八六)熱海で病没した。
 尺次郎氏の記述による






東京府立第四中学校の跡



東京都立(府立第四中学校の跡
 都立四中は明治二十一年九月私立補充中学校として麹町区飯田町に開校した後、 共立中学校、東京府城北尋常中学校と改称、同三十四年四月東京府立第四中学校となる。同三十七年一月には牛込区
市ヶ谷加賀町の此の地に木造二階建ての校舎が建ち、以来明治・大正・昭和前期にわたる深井鑑一郎校長の薫陶の下で、礼を基底とした人間教育と学問の基礎の確立を通して、世に「天下の四中」の
名を得るに至った。
 時が移り第二次大戦の末期、昭和二十年三月十日および四月十三日の大空襲により明治以来の校舎、講堂その他建物一切は灰燼に帰し、さらには敗戦後、学制改革もあって、昭和二十二年、二十三年
における旧制中学五年生の卒業を最後に、都立第四中学校は六十年にわたるその歴史の幕を下した。併し不易流行の校風は、都立戸山高等学校に受け継がれ現在に至っている。最後の卒業生となった
昭和十七年入学者一同、四中終焉五十周年を記念して此碑を建てる





続く。
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