2023/07/20 新宿区立矢来公園



鏑木清方(かぶらききよたか)旧居跡

 日本画家・鏑木清方(1878~1972)は、大正十五年(1926)九月から昭和十九年(一九四四)まで、現在の新宿区矢来町三十八番地三に暮らした。ここ新宿区立矢来公園の東に隣接する一帯である。
 清方は、本名を健一といい、明治十一年(1878)に、東京神田に生まれた。十三歳の時に、浮世絵の流れを汲む水野年方へ弟子入りし、美人画を得意とする画家として地位を固めていった。
 矢来町の家は、大正十五年(1926)九月より賃借し、のちに購入して、懇意の建築家・吉田五十八(いさや)へ依頼し、応接間や玄関を改築して制作環境を整えた。清方はこの家を「夜蕾亭(やらいてい)」と称した。
 代表作となる「築地明石町」(昭和二年)のほか「三遊亭圓朝像」(昭和五年、重要文化財)など絵画史に名を残す名作をこの地で多く制作した。
 なお、鎌倉に転居後の昭和二十九年(一1954)には文化勲章を受章した。





小浜藩邸跡

 若狭国(福井県) 小浜藩主の酒井忠勝が、寛永五年(1628)徳川家光からこの地を拝領して下屋敷としたもので、屋敷の周囲に竹矢来をめぐらせたことから、天来町の名が付けられました。
 もと屋敷内には、小堀遠州峠、になる庭園があり、蘭学者として著名な杉田玄白先生もこ屋敷内で生まれました。

小浜藩邸跡碑の脇には「杉田玄白生誕地」と刻まれている。





◆矢来公園 一本桜

google mapに史跡として登録されているが、現地には説明版などがなく、経緯はわからない。





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