2022/11/27 新宿区立甘泉園公園・高田富士


一度訪れたことがある。
2018/07/30 西早稲田散歩 04 甘泉園公園/安部磯雄記念球場跡/安部球場跡記念碑/グランド坂/GAME ABC/高田馬場跡 - ovanの社会科見学

『甘泉園公園(かんせんえんこうえん)は、東京都新宿区西早稲田にある新宿区立の公園である。
元々当地は徳川御三卿の一つ・清水家の下屋敷があったところで、当公園は屋敷にあった回遊式の大名庭園であった。当地から湧き出ていた湧き水がお茶に適して評判であったことから、「甘泉園」と呼ばれていた。明治時代には相馬子爵家の邸宅になったが、昭和13年に近隣にある早稲田大学の施設となった。戦後は東京都に売却されて都立公園となったが、1969年に新宿区の管轄となって現在に至る。
名の由来となった湧き水は枯れているが、現在でも大名屋敷の回遊式庭園の面影を多分に残した日本庭園を主体とした公園となっている。冬になると雪吊した樹木を見ることが出来る。 』

『 明和年間 - 清水家の下屋敷となる。
明治時代 - 相馬子爵家の邸宅の一部となる。
1938年 - 早稲田大学の付属施設になる。
1961年 - 早稲田大学が建物の増築にあたり、旧水稲荷神社の境内の敷地を購入する代わりに当地を都に売却する。水稲荷神社が当地に移転した。
1969年 - 新宿区に移管。』

甘泉園公園 - Wikipedia












 甘泉園という名は、園内に涌き水があり、清冽で常時涸れず、また、茶に適したところから起ったものであり、その由来を書きしるした石碑が、園の南東にあたる水稲荷神社の社務所脇に現存している。
 この地は、江戸中期の安永三年(1774年)徳川御三卿の一つ、清水家の下屋敷がおかれたところである。明治三十年ごろ、相馬家の所有となったが、昭和十三年早稲田大学に移譲された。
 戦後、とはこの地を買収し、改修の手を加えて、昭和四十四年、区へ移管した。
 庭園は、神田川右岸を東西に走る台地の北面の傾斜地とその低地にあって、段丘の高低差を利用し、泉の水を引いた池を回遊する林泉になっている。
 池傍より見上げる雄大な常緑樹林に囲まれ、春のツツジ秋の紅葉が水面に写り、見事な景観を創り出している。「日本の歴史公園100選」にも選定された。






◆高田富士

囲いがいっぱい・・・。

『境内にある「高田富士」(戸塚富士あるいは富塚富士とも)は早稲田大学拡張工事の際に、同大学の構内にあった江戸中最古の富士塚を移築したものである。普段は登拝できないが、7月の海の日とその前日に催される「高田富士まつり」の際に一般の登拝が可能となっている。 』
水稲荷神社 - Wikipedia







水稲荷神社側入り口




◆新目白道路側入り口




飯田橋石神井新座線側の案内板

新宿区立 甘泉園公園 公園の生い立ち
 甘泉園公園の地は、江戸時代、徳川御三郷の一つである清水家の下屋敷があった場所であり、明治時代になって相馬家が購入し、 屋敷や庭園を整備しました。昭和に入り早稲田大学の所有となり、学校関係者等に利用されていました。
 その後、昭和32年に都市計画公園として計画決定がなされ、東京都が用地買収を行い、昭和43年から公園整備工事が行われました。 完成後に新宿区が東京都から移管を受け、昭和44年7月、新宿区立
甘泉園公園として開園しました。
 公園名は、 かつてこの地の湧水が清冽で常時枯れず、又お茶に通ずるところから「甘泉」 と呼ばれていたことに由来しています。




場所はコチラ↓





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2018/07/30  記事アーカイブ




◆甘泉園(かんせんえん)公園






 甘泉園という名は、園内に涌き水があり、清冽で常時涸れず、また、茶に適したところから起ったものであり、その由来を書きしるした石碑が、園の南東にあたる水稲荷神社の社務所脇に現存している。
 この地は、江戸中期の安永三年(1774年)徳川御三卿の一つ、清水家の下屋敷がおかれたところである。明治三十年ごろ、相馬家の所有となったが、昭和十三年早稲田大学に移譲された。
 戦後、とはこの地を買収し、改修の手を加えて、昭和四十四年、区へ移管した。
 庭園は、神田川右岸を東西に走る台地の北面の傾斜地とその低地にあって、段丘の高低差を利用し、泉の水を引いた池を回遊する林泉になっている。
 池傍より見上げる雄大な常緑樹林に囲まれ、春のツツジ秋の紅葉が水面に写り、見事な景観を創り出している。「日本の歴史公園100選」にも選定された。