2023/07/20 神楽坂・市ヶ谷散歩 02 納戸町公園/中根坂・安藤坂/女人芸術社跡/長泰寺/左内坂/市ヶ谷駅/四ツ谷駅

前のページからの続き。
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◆新宿区立納戸町公園



クーデンホーフ光子 居住の地

 この地には、初めて西洋の貴族と結婚した日本女性であるクーデンホーフ光子〔青山みつ〕(1874~1941)が、明治二十九年(1896)に渡欧するまで住んでいた。
 光子は、明治七年(1874) 骨董商と油商を営んでいた青山喜八と妻つねの三女として生まれた。東京に赴任していたオーストリア・ハンガリー帝国代理公使のハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギーと知り合い、明治二十五年(1892)に国際結婚し、渡欧後は亡くなるまでオーストリアで過ごした。
 渡欧までの間、光子と共にこの地で暮らした次男のリヒャルト〔栄次郎〕(1894~1972)は、後に作家・政治家となり、現在のEUの元となる汎ヨーロッパ主義を提唱したことから「EUの父」と呼ばれている。





◆中根坂・安藤坂



昔、この坂道の西側に幕府の旗本中根家の屋敷があったので、人々がいつの間にか中根坂と呼ぶようになった。






google mapを見ると中根坂の場所に安藤坂も登録されている。




◆女人芸術社跡



 この地は、劇作家・小説家の長谷川時雨 (1897~1941)と、夫で小説家の三上於菟吉(1891~1944)が昭和三年(1928) 七月から同七年(1932) 二月まで暮らしたところで、時雨が発行した女性のための文芸雑誌『女人芸術』の発行所であった女人芸術社の跡である。
 明治十二年に東京市日本橋区 (現在の中央区)に生まれた時雨は、幼少期より邦楽や歌舞伎に親しみ、歌舞伎脚本の執筆等、劇作家として活躍した。
 明治二十四年に埼玉県北葛飾郡桜井村(現在の杉戸町)で生まれた於菟吉は、早稲田大学で英文学を学び、佐藤春夫北原白秋らと交流しつつ創作・出版活動を行い、大衆小説家としての地歩を固めた。 時雨と於菟吉は、大正五年(1916)頃から交際をはじめ、共に暮らすようになった。
 「女人芸術」は、大正十二年(1923)に時雨が岡田八千代と共に創刊したが二号で休刊となり、昭和三年に於菟吉の資金援助を得て復刊し、同七年まで計四十八冊を発行した。執筆者は、野上弥生子・神近市子・高群逸枝宮本百合子ら当時の中堅・大家のほか、円地文子佐多稲子林芙美子矢田津世子らの若手を世に出した。




◆長泰寺

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2023/07/20 長泰寺 - ovanの社会科見学




左内坂



この坂道は、江戸時代初期に坂上周辺の町家とともに開発された。名主島田左内が草創したので町名を左内坂町と呼び、坂道も左内坂と呼んだ(『御府内備考』)。




市ヶ谷駅

東京メトロ南北線市ヶ谷駅





四ツ谷駅

四ツ谷駅内にある展示施設。

別のページで。
2023/07/20 四ツ谷駅(江戸歴史散歩コーナー(東京メトロ南北線コンコース内)) - ovanの社会科見学




東京メトロ丸の内線で西新宿駅へ。
西新宿から中野坂上までの散歩へ続く。
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