2024/03/09 延寿院


『創建年代は不明である。元々は我孫子宿の中心部にあり、子之権現社(子之神大黒天)の別当寺であった。
1918年(大正7年)、別当寺の縁で子之神大黒天の敷地に移転し、一体化することになった。10月下旬になると、「柴燈護摩火渡り」と呼ばれる火渡りが執り行われる。 』
延寿院 (我孫子市) - Wikipedia






奥の院



子の神様と柊(ひいらぎ)
 村上天皇の康保元年甲子年(九六四)正月八日子ノをもって宥敬阿闍梨はじめてここに、仏法の縁地として尊体を安置した。
 源頼朝が下総遊説の途上、我孫子の里で不幸にも脚気に掛かり、沼辺の農家に身を寄せたある日のこと、頼朝の夢枕に大きな白ねずみに乗った白髪の翁がひいらぎの葉を持て現われ、「われはこの地の鎮守子の権現の化身である。今日只今、われ因縁によりて汝を救うところなり」と言ながら、ひいらぎの葉を胸から下半身へかけ三べんお祓いするや、不思議にも快癒した。
 征夷大将軍についたとき、お礼として社殿を造営し、社領を与え、手植えの松と共に柊を植え、神木とした。









七福神









◆かねのわらじ



ここの本尊子之神さまは常に諸病を除去し、一切の宿願を叶えてくれる
威神力を持つ神とされ特に腰下の疾患にはご利益があるとされています。
この胸腰の象徴であるわらじは健全な永い人生の歩みを表したとえどんな茨な道でもすり切れることも無くまして小判の形を踏み残すという云われであります。









大黒堂









◆大師堂38番









◆大師堂43番









◆子の神古墳群

 子の神古墳群は手賀沼を見下す寿の台地に所在し、一墓の前方後円墳と十三基の円墳からなる群集墳で、六世紀初頭から末にかけて造られたものである。
 いずれの古墳も埴輪を持ち、市内でも代表的古墳群である。









◆子之神寄進坂







◆山門









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