2022/09/12 保谷散歩 05 下保谷天神社/上前遺跡/馬頭観音坐像/題目塔/たけのこ公園/大象坊跡墓地

前の日記からの続き。
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/12/223000







◆下保谷天神社


天神社 拝殿

 本殿の納まる覆殿と、仮殿と幣殿でつ幣殿でつながる入母屋造のこの拝殿は、正面に張り出した向拝の屋根を支える柱の礎石に「天保五年午四月日」「願主高橋佐五右エ門」の刻銘があることから、天保五年(一八三四)の建築と推定されます。市内に現存する木造建造物としては有数の古さのもので、屋根や覆殿との接続部分に改修が見られの、建築当初の姿を現在に伝えています。
 また、拝殿の四方上部の小壁には、漆喰で波や龍が描かれています。これは「鏝絵」(漆喰彫刻)と呼ばれる手法で、江戸後期から明治期にかけて流行しましたが、市内では他に例を見ません。描かれた意匠は水に関係する優れたもので、当時の人々が豊穣や吉祥、火伏を願ったものと考えられます。生活の中で水との関係が強かったこともかったこともうかがえます。
 天神社は、かつては三十番神を祀り「番神様」と呼ばれていました。明治元年(一八六八)に出された法華三十番神禁止令により、祭神を三十番神からその中の一柱である菅原道真に、社号を天神社に改めましたが、その後も下保谷村の鎮守として、今日に至っています。
 地域の歴史とともに大切に引き継がれた、幕末期の建築意匠を色濃く反映する貴重な文化財です。


菅原道真石造

 天神社の前身は、天正期(1573~1591)の初めと推定される創建の時代から、江戸時代終りの慶応四年(1868)まで、日蓮宗法華神道にもとづく三十番神として、下保谷村の鎮守社に祀られていました。 これが天神社に代った由来は、維新政府が明治元年1868) 神仏分離令に次いで発令した「法華三十番神禁止」によるものです。
 三十番神は日本の神祇の中から善神三十座を選んで、その神々が一か月三十日間番代りに日蓮宗の信徒を守護するという信仰思想に依っていますが、この三十番神が村鎮守であった享和元年(一八〇一)から、鎮守境内に番神に近縁の摂社として、菅原道真石像を神体とする天神社が祀られていました(現、境内西旧社殿)。道真が番神の摂社として祀られていたのは、善神三十座中に天満天神=菅原道真が配列されていた由緒によるものです。 この由緒を幸いとして、禁止令にあった氏子は、ただちに菅原道真石像を本殿に移し、三十番神の社号を天神社に改めました。
 『武蔵保谷村郷土資料』(高橋文太郎著)は、禁止令後約七十年を経た昭和十年にいたっても、 番神講の御奉謝が厳粛に行われていた様子を取材していることから、村鎮守三十番神に対する伝統的な氏子の崇敬が理解できます。なお三十番神神像は市指定文化財第二十九号として、今当時の別当寺であった福泉寺に収蔵されています。

※コチラひとつ前の日記「福泉寺」
https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2022/09/12/220000


氏子中奉納題目塔二基



安永二年(1773)建立
安永九年(1780)建立
 安永二年(1773)九月造立の、自然石に彫られた俗称髭文字(宗祖日蓮の筆跡をなぞった書体)の題目塔、七年後の安永九年(1780)八月造立の三mにのぼる大きな題目塔のこの二基は、いずれも基壇とその下部に「氏子中」と銘文して、
 当時の下保谷村鎮守三十番神に奉納され、それ以来この場に二百二十年余を経て立っています。 下保谷村は中世文明年間(1469〜86) 前後とみられる草創以来、日蓮宗下総中山門流の宗派圏に入り、村びとすべて法華の信徒となって、 この宗派に独自の三十番神を村の鎮守神に祀ったのです。江戸時代末までの神社は神仏習合でしたから、三十番神の氏子で構成する番神講は、祭礼ごとに御奉謝を開いて題目を奉唱しました。 二基の題目塔は鎮守に村の大願を祈念して、 題目一千部と二千部の奉唱を達成した記念の塔です。
 こうした神仏習合の神事の習俗は、明治維新政府によって神仏分離され、このとき廃仏毀釈と呼ばれる事件も起きましたが、氏子一同は祭神の三十番神々像 (西東京市指定文化財第二十九号)を別当寺であった福泉寺に移して保存し、鎮守境内に番神信仰の伝統を象徴する二基の題目塔を残して守り続けました。このとき以降社号天神社に代りましたが、祭神の菅原道真三十番神中の一柱です。


境内社

何が祀られているのかわからなかった。


石塔













◆上前遺跡

説明版などは見当たらなかった。





google mapのマークは上の写真のところあたり。
縄文時代の遺跡のようだ。
場所は「北町六丁目」としか記されていなかったため、こちらで合っているのかどうかわからなかった。

参考
西東京市-遺跡一覧












馬頭観音坐像













◆題目塔













◆たけのこ公園












◆大象坊跡墓地

墓地は現存している。
詳しいことはWEBで調べてもわからなかった。
古地図アプリで観ようかなと思ったけど、23区を超えると使えなかった。












続く。