2024-04-26から1日間の記事一覧
『1615年(元和元年)に開山された。 当寺で最も著名なのは「痢病尊(りびょうそん)」である。「痢病」とは赤痢のことであるが、現在では赤痢に限らず下痢や腹痛を起こす病気を治すご利益があるとされている。元々は、現在の神奈川県伊勢原市にある養国院に…
由緒 創始は正平年間、新田義貞の家臣、三津田源之進が御神体を捧げて拝島に留まり祭祀していたが、後に小詞を造営し、文禄年間に改築したと口伝がある。 萬治元年久保家の祖先久保庄右衛門がこれを再建奉仕した。庄右衛門は敬神の命篤く本社奉仕の殊許を得…
『この寺の創建年代については不詳であるが、戦国時代に再建されたという。もとは本覚院(拝島大師)などとともに隣接する大日堂の子院のひとつとして建立され大日堂の別当寺であった。江戸時代には大日堂領として朱印状が与えられていた。』 普明寺 (昭島市…
こちらが大日堂。 大日堂境域及び日吉神社境域 大日堂の創建は、寺伝などによると天暦六年(952)と伝えられている。 の後、戦国期、滝山城の築城に際し城の鬼門除けとして現在地に移され、天正年間(1573~1591)には滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が娘の眼…
水車説明板 この用水路の淵には、 直径が3.5mもある大きな水車があり、大正の終わり頃まで、 撚糸工場の動力として、 また精米製粉にと利用されていました。 今でもこの水車の基礎跡が説明板西側約20m先に見ることができます。 ◆用水 ◆坂 手前にあった坂。 …
由緒 御祭神菅原道真公は学才幼くして郡を抜き日夜勉学に励まれ十八オで文章生に補せられ文章博士讃岐守を経て右大臣に任ぜられましたが時の左大臣藤原時平の讒言により太宰府へ左遷せられました 唯々無実の罪の晴れる日を願い君恩に感謝する日を過されまし…
拝島緑地広場。 こちらの中に「昭和用水堰」「一町二箇村用水樋管モニュメント」があった。 ◆昭和用水堰 『室町時代に開削された九ヶ村用水(立川堀)が前身。1933年、多摩川に昭和用水堰が設置されると立川町、昭和村、拝島村の用水として使用され、現在に…
九ヶ村(くかむら)用水取水口跡 江戸時代以来、昭島、立川両市域の水田をうるおしてきた九ヶ村用水の取水口です。 九ヶ村は、昭島市域の拝島、田中、大神、宮沢、中神、築地(ついじ)、福島、 郷地の八ヶ村(はちかそん)と立川市域の柴崎村(しばさきむら)のこと…
前のページからの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/04/26/190000 ◆こぱんはうすさくら昭島たなか教室 変わった建物とモニュメント?だった。 ◆わんちゃんが洗える!ワンダフロ USA24 何でも商売になるんだねぇ・・・・と感心してしまった。…
前のページからの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/04/26/183000 ◆坂下地蔵尊 御地歲尊由緒 このお地蔵様は、江戸時代初めの慶安年間に八王子千人同心が日光廟勤番に赴くために整備された日光往還道の宿場町として「拝島宿」が成立してまも…
前のページからの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/04/26/180000 ◆アケボノゾウ化石発見地・拝島水道橋 現地には説明版など見当たらなかった。 こちらに詳しい情報があった。 昭島市デジタルアーカイブズ-あきしま 水と記憶の物語:昭島の歴…
前のページからの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/04/26/173000 ◆東向地蔵尊 御地蔵尊由緒 このお地蔵様は、江戸時代初めの慶安年間に八王子千人同心が日光廟勤番に赴くために整備された日光往還道の宿場町として 「拝島宿」 が成立してま…
前のページからの続き。 https://ovanrei.hatenablog.com/entry/2024/04/26/170000 ◆拝島緑地広場・昭和用水堰・一町二箇村用水樋管モニュメント 別のページで。 2024/04/26 拝島緑地広場・昭和用水堰・一町二箇村用水樋管モニュメント - ovanの社会科見学 ◆…
24時間勤務アケで、JR拝島駅から同じく昭島駅まで散歩。 ◆拝島駅 JR青梅線、五日市線、八高線拝島駅。 ◆昭島腎クリニック ◆小荷田児童遊園 ◆オザム 昭島拝島店 あまり区内だと見ないですね・・・。「株式会社オザムは、東京都青梅市に本社を置き、東京都、埼…