2024/04/26 拝島・昭島散歩 03 東向地蔵尊/稲荷社/拝島原水補給ポンプ所/水車跡/西部6号排水樋管/昭島市の信玄堤 ( 霞堤 )/砂利積込場跡

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◆東向地蔵尊



地蔵尊由緒
このお地蔵様は、江戸時代初めの慶安年間に八王子千人同心が日光廟勤番に赴くために整備された日光往還道の宿場町として 「拝島宿」 が成立してまもなくの天和二年(1682年) から鎮座していました。
お地蔵様が東を向いているのは、 坂下、「旧拝島町1番地」 に鎮座するお地蔵様と向き合い一対となって拝島宿の東と西の両端から宿場内を見守るために建立されたと伝えられております。
昭和二十年代初め道路整備時に破壊され台座のみが残っていましたが今般地元講中により再建されました。










◆稲荷社


疣(いぼ)地蔵



疣(いぼ)地蔵
このお地蔵さまは江戸時代の罪人(義賊)の墓だと思われる
昭和初年までここの南百米の崖上にあった
願かけの方法
荒縄でしばり疣(病)を直してくれたら縄を解くと願掛けをする









◆東京都水道局拝島原水補給ポンプ所









◆水車跡

別のページで。
2024/04/26 水車跡 - ovanの社会科見学









◆西部6号排水樋管










昭島市の信玄堤 ( 霞堤 )

こちらに詳しい情報があった。
武田信玄が造った? 多摩川(昭島市拝島町)の霞堤(かすみてい)











◆砂利積込場跡

こちらに詳しい情報が載っていた。
詳細|空間でたどる|あきしま 水と記憶の物語

『五日市鉄道(いつかいちてつどう)は、東京府北多摩郡立川町(現在の立川市)と西多摩郡大久野村(現在の日の出町)及び同郡五日市町(現在のあきる野市)を結ぶため建設された鉄道路線及びその運営会社である。南武鉄道南武線)と合併した後に国有化され、現在の東日本旅客鉄道JR東日本五日市線となった。 』
五日市鉄道 - Wikipedia











続く。
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