2024/04/26 拝島神明神社





由緒
創始は正平年間、新田義貞の家臣、三津田源之進が御神体を捧げて拝島に留まり祭祀していたが、後に小詞を造営し、文禄年間に改築したと口伝がある。
萬治元年久保家の祖先久保庄右衛門がこれを再建奉仕した。庄右衛門は敬神の命篤く本社奉仕の殊許を得て宝暦二年まで●●勤続奉仕した。
文化文政年間に編まれた「新編武蔵風土記稿」に、「神明社」として初見され「明治の一時期「町後神社」と称しが、明治二十八年現社号に改称した。
本社は大正六年、拝島の大火の際、類焼の厄に遭い大正七年に本殿を再建その際に本社の稲荷社・八雲社を本殿内に合祀した。
御参拝される方々が四季折々の自然の中で、心から清々しくなれる空間を未来へ引き継ぎ、これからも地元の皆様に親しみ続けられる社として静かに拝島の里を見守っている。

●は判読できなかった






境内社






◆石臼塚



かつて石臼は庶民生活のなかで、なくてはならない道具のひとつでした。
今、自然志向の高まりとともに、一部蕎麦屋などで復活していますが一般的には、その存在は急速に忘れ去られてしまいました。
食べ物を挽いた石臼は踏んではならないといわれております。
この里に残る石臼を集め、感謝をこめて石臼塚を建立しお祀りしております。






馬頭観音/庚申塔/夫婦石

馬頭観音
造立
明治七年十一月
形状
櫛形文字塔「馬頭觀世音」
銘文
建武亥年 義貞臣下三叉田源之進士馬
明治七年 久保伊三郎作馬

庚申塔
造立
口政五年 (欠損)
形状 刻造
像塔、山型三角柱型、青面金剛・地歳・観音
銘文
(下部欠損)

夫婦石
緣結び、夫婦和合,子孫繁栄、安產を願って安置しております。






◆鳥居






場所はコチラ