拝島緑地広場。
こちらの中に「昭和用水堰」「一町二箇村用水樋管モニュメント」があった。
◆昭和用水堰
『室町時代に開削された九ヶ村用水(立川堀)が前身。1933年、多摩川に昭和用水堰が設置されると立川町、昭和村、拝島村の用水として使用され、現在に至っている。名称の由来は昭和村から。残堀川に合流する。』
昭和用水 - Wikipedia
一町二箇村用水通管
昭和八年(一九三三三)頃から平成一三年(二〇○一) 春まで使われた昭和用水堰旧水門の一部。町二筒村とは、当時の立川町、昭和村、拝島村のことで、この用水は、「立川用水」或いは、「立川掘」と呼ばれ、昭島・立川両市域の水田を潤してきました。 右手奥の堤防下には通水記念碑も残っています。
「一町二箇村用水通水記念碑」多摩川堤防の土手に埋めこまれている碑板。
堤防の反対側にある一町二筒村用水樋管の通水を記念して建立。
碑文は
昭和八年三月通水
設計監督
武井鉄寿
管理者
新藤犬太郎
常設委員
中島市次郎
篠新太郎
和田清秋
清水豊
石工
石川九市
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