2020/10/24 善福寺散歩 07 善福寺公園

4こちらも情報量が多いので1ページにした。
一度来ている場所のはずなんだが、全然覚えていない(汗



北側の入り口


地図

善福寺公園
 善福寺池を中心にした公園。池は、かつては神田上水の補助水源として利用されたほど澄んだ水で、湧水量も多く、武蔵の三大湧水池の一つとして知られていました。池の名称は、昔、この付近に両方で3万7千㎡、公園全体の47%を占めます。昭和5年10月「善福寺風致地区」に指定されると、その4年後に地元関係者が「風致教会」を設立して保存がはかられてきましたが、昭和36年6月に都立公園として開園され、現在に至っております。池にはカモ、カイツブリ、パンなどの水鳥がいます。

水辺の彩り
 上池は二つの中島を持った広々とした池。大きい島には、弁財天がまつられています。
 その他100株のスイレンがあります。ボート遊びで傷つけられないように杭で囲ってあり、6月から7月にかけて赤、白の花を咲かせます。
 また上池の周辺にはアジサイが植えられていて、同じころ青紫色の花をつけます。下池の周囲の樹林もうっそうとして、上池にくらべて野趣に富んでいます。

遅の井
 善福寺川の湧水のひとつ、その起源は古く、言い伝えによると約800年前の文治5年(1189年)、源頼朝が奥州征伐の帰路、この地で飲料水を求めるために掘ったもの。折からの干ばつでなかなか水が出ず、自らの弓の「はず」で土を掘ると7個所から水が湧き出たというわけです。
 現在は、泉が涸れてしまったので、井戸を掘りポンプで汲みあげ、遅の井の滝として復元しています。







◆上池










◆遅野井の滝/遅野井湧水の碑


遅野井の由来

 この滝は王子の湧水の湧き出し口の遅野井を滝の形で復元したものであるが、遅野井については、次のような伝説がある。
 その昔、源頼朝が奥州征伐を終え、この地に戻った際、折からの干ばつで軍勢は渇きに苦しんだ。
 頼朝は弁財天に祈り、自ら弓で地面を7ヶ所掘った。軍勢は渇きのあまり水が湧き出るのが遅い、遅の井と言った。
 その時、こつ然として7ヶ所に水が湧きだし、軍勢は渇きをいやした。その後江の島弁財天をこの地に勧請して善福寺弁財天を創建したと言う。


遅野井湧水の碑








◆市杵嶋神社

猫の足あとさんのページには「遅野井市杵嶋神社」とあった。



 この島に鎮座する社は、市杵嶋神社といい、祭神は市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)です。
 当社は江戸時代、善福寺池の弁財天といわれ、「新編武蔵風土記稿」には「池の南に弁天の祠あり。一尺(約三十センチメートル)四方にて南に向ふ。本尊は石の坐像にて、長八寸(約二十四センチメートル)はかり」とあります。
 また寛永年間(1624~44)には、それまで祀られていた右手奥の島から現在地に移されたといわれ、それ以降、その島を「元弁天」という様になりました。
 「善福寺弁天略縁起」によれば、この地域の旧名「遅の井」の地名譚(源頼朝が奥州征伐の途時この地に宿陣し、飲水を求めて弓筈で各所を穿ちましたが水の出が遅く、弁才天を祈り、やっと水を得た)に倣い、建久八年(1197)に江ノ島弁才天を勧請したのが当社の始まりとあります。
 このことから甘水に霊験ありとして、旱魃の折には区内はもとより、練馬・中野の村々からも雨乞い祈願に参りました。
 雨乞い行事は、池水を入れた青竹の筒二本を竹竿につるして担ぎ、その後に村人達が菅笠を被り、太鼓をたたいて「ホーホィ、ナンボェゝ」と唱えながら村境を巡りました。また氏神の前に井戸水と池水をはった四斗樽四個をすえ、四方に散水しながら祈ったともいわれています。
 この様に旱魃の年毎に行われてきた雨乞いの行事も、昭和二十四年(1949)を最後に見られなくなりました。
例祭日は四月八日です。


護符「幸守」

 当社の祭神である市杵嶋姫命は、人が生きていくうえで欠くことの出来ない水を司る水神であり、古事記日本書紀天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約で生まれた神であると記されていることから、人から人の信頼関係を司る神とも言えます。
 このように市杵嶋神社の祭神は、人々の営みに深くかかわる神であることから、崇敬者の方々の安寧と幸福を願って当社の御府「幸守」を調製いたしました。
 つきましては「幸守」を初穂料七百円にて授与いたしますので、ご希望の方は井草八幡宮社務所(授与所)にてお求めください。







◆東京都水道局杉並上水所

敷地は立ち入り禁止なので外から撮るしかない。




昭和7(1932)年頃竣工。
設計は小尾嘉郎(おびかろう)であると考えられます・・・とあった。
ようするにあまり詳しくわからないということだね・・・。

参考
「まちかどの名建築」P16


こちらのページに良い写真が載っていた。
http://www.visiting-japan.com/ja/articles/tokyo/j13sn-suginami-kinken.htm


『杉並浄水所(すぎなみじょうすいじょ英称 Suginami Purification Plant)は、現在の東京都杉並区善福寺にある東京都水道局の浄水所。昭和7年(1932年)3月15日竣工。原水は地下水を揚水したものである。
杉並浄水所は関東大震災後の急激な宅地化によるスプロール現象の恐れが出てきた旧井荻町が水需要の増大に対応する為に築造したものである。東京都水道局の区部の浄水所としては地下水を原水とした珍しい浄水所である。善福寺公園の南西に位置している。水運用センターから送信される水配体制(三郷体制)によっては取水・浄水処理・送配水を行わない日もある。 』
杉並浄水所 - Wikipedia







◆稲荷社

中に入ることができなかったので外からお参り。
善福寺公園の上池と下池のあいだ、公園の外にある。
唯一はいれるかなとおもった通路は「住民以外お断り」の張り紙がしてあり通ることができなかった。







内田秀五郎翁像



判読不能・・・・。

調べてみるとあまり信頼のおける情報が無い。
こちらのページを見てみると、西荻窪発展に貢献した人ということである。
https://www.aeras-group.jp/column/a525633/







◆渡戸橋

左側が上池側、右側が下池側。



上池側。



下池側。







◆下池

渡戸橋から下池側へ。


遅野井川

遅野井川とは
 遅野井の湧水を源としていた善福寺川は、かつて「遅野井川」と呼ばれていました。
 また、善福寺公園の上の池と下の池を結ぶこの水路では、地元の有志によるヘイケボタルの放流が行われ、「ホタル水路」の愛称で長く親しまれてきました。その後、2014年(平成26年)に井荻小学校の子どもたちから「水に親しめるもっと身近な水辺にしてほしい」との要望を受け、区は「みんなの夢水路整備事業」として再整備を進め、2018年(平成30年)に整備が完了しました。
 整備完了を機に、かつては子供たちの遊び場として小川だった頃の往時をしのび、区民の憩いと安らぎの場として親しめるよう、「遅野井川」と呼ぶことにしました。






南側入り口






続く。