2018/04/24 河辺散歩 03 大井戸公園/新町御嶽神社/榎戸家山下家井戸跡/青梅警察署/河辺駅前噴水/東青梅総合体育館

吉野家住宅の後は、すぐ近くにある珍しい井戸と神社を巡る。
そしてまた河辺駅まで戻って今度は南側を散策する。



◆大井戸公園



青梅新町の大井戸
大井戸は、人が水口付近まで近づくための擂り鉢形の施設と水をくみ上げる筒井戸からなる漏斗状の形をしています。このような形の井戸は、羽村市のまいまいず井戸(都指定史跡)など、水の得にくい武蔵野台地等で構築されていますが、東西約22メートル、南北約33メートル、深さ7メートルの擂り鉢部と周囲の盛土からなる大井戸は、なかでも最大の規模をもつものです。
この井戸が掘られた時期については、定かではありませんが、地表から筒形井戸を構築する技術が一般化する以前の様式であると考えられます。また、武蔵野の原野を走る「古青梅街道」と「今寺道(秩父道)」の二本の古道が交差する位置にあることから、おそらく江戸時代の開発以前から道行く人馬の飲み水を供給する場所となっていたものと思われます。
新町村の開発は、慶長16年(1611)に師岡村の土豪的農民吉野織部之助らによって始まりますが、この際、大井戸に大規模な改修が加えられ、塩野家井戸として使用されたことが、開村の様子を記した「仁君開村記」や発掘調査の結果から想定されます。さらに、筒井戸の底付近から出土した、明和7年(1770)の年号と「永代不絶泉」の墨書をもつ願文石から、その後も使用されていたことが明らかになりました。
このように大井戸は、中世後期から近世初期の武蔵野台地の開発に関する貴重な歴史的以降で学術的な価値も高い史跡です。
指定面積は2,121平方メートルです。



こちらがその井戸。
まいまいず井戸に似ている。



牡丹園








◆新町御嶽神社





御神楽



新町水神社





新町天神社





塩電神社





吉野織部之助正清顕彰碑



武蔵野開拓の祖吉野織部之助正清は大和国吉野の生れで武蔵忍城主成田長泰の家臣であった 天正十八年豊臣秀吉に攻められ落城の折師岡村に来り土着して村の里正となった 当時武蔵野の台地は一望無限の荒漠たる原野であったが織部之助はこの開拓を志し代官の許を得て慶長十六年近傍十八箇村より同志を募り血と汗の努力と六年の歳月を費し元和二年遂に一邑開拓の大業をなしとげたのである 後武蔵野の開拓は江戸幕府の奨励により八十余の新田が開かれたがこの新町村の開拓こそはそのモデルケースであり我が国開拓史上特筆すべき事績である 昭和三十五年は新町開村三百五十年にあたるので当時の先覚者の苦難を偲び開拓精神を昂揚し併せて大青梅市建設に寄與すると共にこれを後世に伝うべく茲に織部之助の事績を顕彰し頌徳碑を建立する次第である



鳥居






◆榎戸家山下家井戸跡

こちらもWEBで調べてみたが、有力な情報が得られなかった。



◆青梅警察署



河辺駅前噴水

噴水・・・にしては水が出ていない。
夏季限定とかなのかな?
ここからは河辺駅の南側になる。





◆東青梅総合体育館









続く。

2018/04/24 河辺散歩 02 旧吉野家住宅(東京指定有形文化財)

東京都の指定有形文化財とのこと。
ちょっと不便な場所にある。







 慶長十六年(1611)、吉野織部之助(?-1639)は新田の開発に着手し、新町村が誕生しました。吉野家は、新町村の名主を代々勤めました。現存するこの住宅は、安政二年(1855)三月、下長淵村(現在の青梅市長淵)の棟梁新兵衛らによって建てられたものです。桁行10.5間(約19.1m)、梁間4.5間(約8.1m)の茅葺入母屋造で、建築面積は75.2坪(248.7?)です。建物は整形六ツ間型、向かって右側はダイドコロ、隣接するカッテは板の間でイロリが切られています。左手奥の部屋(オク)は床・違い棚・附書院を完備し、玄関には式台が付いています。天井裏に当たる小屋組みの内部には、養蚕用のタナ・オオダナが設けられています。幕末の名主階級の民家として完成された多室間取りの姿を良く伝え、多摩地方を代表する建造物です。









吉野家住宅のHPはコチラ↓
http://www.ome-tky.ed.jp/kyodo/yoshinoke.html


場所はJR青梅線河辺駅」北口より徒歩約25分。
休館日は月曜日(祝祭日の場合は公開し、翌平日が休館日)、年末年始
とのことですが、行かれる方は事前にHPなどで確認してから行ってくださいネ!

2018/04/24 河辺散歩 05 立川崖線/林川寺/石神社/千ヶ瀬第二浄水場/千ヶ瀬町2丁目運動広場

まだまだ東青梅駅に向かって散策する。
ちょっと雨が降ってきたが、傘をさすほどでもなかったので助かった。


◆立川崖線



ものすごい崖・・・・。
下は多摩川



◆林川寺





◆石神社






◆千ヶ瀬第二浄水場



◆千ヶ瀬町2丁目運動広場



足が辛いとかいうより、心肺への負担が大きい(w
「ウンウン」言いながら勾配を上がったり下がったりした。
続く。

2018/04/24 河辺散歩 04 河辺八雲神社/赤丸ポスト/東円寺/河辺春日神社/供養塔/地蔵

河辺駅の南側を散策した後は東青梅駅に向かって散策する。
高低差が激しくかなり疲れる(汗




◆河辺八雲神社



境内社




崖の上にある神社だった。



鳥居



◆赤丸ポスト

のどか〜。



◆東円寺






◆河辺春日神




境内社




境内社


鳥居




◆供養塔





◆地蔵

カッパかな?




続く。

2018/04/24 河辺散歩 06 村社千箇瀬神社/千ケ瀬神社/諏訪神社/青梅市役所/東青梅駅

この日記のエリアはゴールの東青梅駅のかなり近くなのだが、
やはり急勾配のせいだ、かなり遠く感じる。
若い人ならいいが、お年寄りは大変だろうなあ・・・・。



◆村社千箇瀬神社

書き方が違うだけで下の「千ケ瀬神社」と同じだと思われる。




◆千ケ瀬神社






諏訪神社





青梅市役所




東青梅駅



東青梅駅でゴール。
こんなに高低差があるとは思ってなかった。
今度こちら方面を散策する時は気をつけよう・・・。
何度か高低差にやられている(w

2018/04/24 河辺散歩 01 河辺駅/野上歩道橋/野上の追分跡/鈴法寺跡/嶋田屋敷井戸跡

24時間勤務アケで、河辺散歩。
河辺駅から北東にある吉野家住宅まで歩き、河辺駅に戻ってから東青梅迄歩く。
26日の下見を兼ねた散歩だった。



河辺駅

スタートの河辺駅



◆野上歩道橋





◆野上の追分跡



WEBで調べても何も出てこないなあ。
google mapでここにマークを付けた人は何を参考にしたんだろう?




鈴法寺



 鈴法寺は、普化宗総本寺の一つとして武蔵幸手藤袴村に創建され、天文元年(1532)に川越の葦草村に移りました。普化宗は中国の唐代に成立した禅宗の一派で、宗徒が虚無僧の姿をしていることで有名です。慶長一八年(1613)、住持月山養風は、同じくかつて後北条氏の家臣で忍城にいた吉野織部之助が新町村を開拓していたことから、再度寺を新町村に移転しました。
 徳川幕府によって普化宗は庇護され、鈴法寺は全国120箇所余りあった普化宗寺院の根本道場の一つとして、明治四年(1871)の普化宗廃宗まで栄えました。しかし、明治二十八年に火災に遭い、堂宇は焼失、現在では寺域の北東隅に歴代住職の墓が残るにすぎません。









◆嶋田屋敷井戸跡



調べても特に有力な情報が得られなかった。




続く。