2021/04/01 王子本町散歩 05 中央公園/赤羽台3号古墳石室/王子本町アパート/陸軍用地/王子本町三丁目アパート/北区立中央図書館/いなりパーク

石神井川を離れて細い路地を北へ進む。



◆中央公園


中央公園文化センター

東京第一陸軍造兵廠(兵器工場)の本部として昭和5年に建てられたとあった。

参考
中央公園文化センター|東京都北区


日時計


慈悲像



趣意書
 この像は彫刻家赤堀新平(あかほりしんぺい)先生が、世界平和と人類の幸福を祈願され、母と子の姿をもって慈悲を表し、特に北区民の繁栄を願って制作し、寄贈されたものである。


皇后陛下行啓記念碑


東京陸軍第一陸軍造兵廠長
と刻まれていた。








◆赤羽台3号古墳石室

上記、中央公園内にあった。




 この古墳の石室は、昭和57年7月、東北新幹線工事に伴う発掘調査により発見されたものです。ほかに10数基の古墳、横穴墓(よこあなぼ)群、多数の竪穴式住居跡が見つかっています。
 北区の歴史を知る上で貴重な資料であるため、石室をそのまま切り取って移設し、展示しているものです。

 石室の概要
 この石室は、今から約1400年前の古墳時代に作られた横穴式石室です。現在は、石積みが2段しか残っていませんが、当時は数段積まれ、その上に天井石をのせたものと推定されています。石材は、凝灰質砂岩(ぎょうかいしつさがん)で海浜の自然石を用いたものです。 また床面には全面に小石が、一部にカキ殻も敷かれていました。
 石室の中には、人骨とともにガラス玉・碧玉(へきぎょく)製の管玉(くだたま)・耳飾りなどの装身具と直刀・矢の先に付けられる鉄鏃(てつぞく)などの武器類が、副葬品として納められていました。


東京砲兵工廠銃砲製造所のボイラー(部品)と鋼製耐震煙突名盤




 明治38年(1905)、現在の十条台1丁目一帯に「東京砲兵工廠銃包製造所」が開設されました。日露戦争を機に弾薬(銃包)の増産が必要となったことから、小石川地区(現後楽園周辺)より当地に移転・拡張されたものです。敷地内には銃包を製造するための煉瓦造の工場棟が多数建設されました。銃包製造所では、製造に必要な工作機械の動力として、英国バブコック & ウイルコックス社製の WIF 型蒸気ボイラーが導入され、ボイラーの煙突には、東京芝浦製作所製の鋼製耐震煙突が使われました。この煙突は、煉瓦造の煙突の周りに鉄板を巻き、耐震性を高めたものです。
 ここに展示されている部品は、ボイラーのドラム・水管の一部·鉄製の扉、および、鋼製耐震煙突の銘板で、十条自衛隊の施設建替の際に解体·保存したものです。銘板には銃包製造所開設年にあたる「明治三十八年九月竣工」の年代が入っており、これらは、銃包製造所の歴史を伝えるとともに、日本の近代産業遣産としても貴重な資料です。








◆王子本町アパート



こちらはURだね。








◆陸軍用地




google mapには載っていなかった。
見過ごすところだった・・・・。








◆王子本町三丁目アパート



こちらは都営住宅だね。








◆北区立中央図書館




『 赤レンガ倉庫(旧陸上自衛隊十条駐屯地275号棟)は、1919年に建設されたもので、北区の近代産業の歴史や当時の建築技術を知ることができます。』
北区立図書館 中央図書館








◆いなりパーク

北区中央図書館すぐ脇の公園。










続く。

2021/04/01 王子本町散歩 04 紅葉橋/金剛寺/松橋弁財天洞窟跡/音無もみじ緑地/滝野川橋/憲兵の詰所/滝野川住宅

都電荒川線から離れて石神井川に沿って西へ進む。



◆紅葉橋

下は石神井川





モミジの装飾。









金剛寺


源頼朝の布陣伝承地

 治承(じしょう)四年(1180)八月、源義朝 の三男頼朝は、配流先の伊豆国で兵を挙げました。初戦に勝利するも石橋山の合戦で破れて阿波国に逃れ、そこから上総国下総国の諸将を味方につけ、隅田川を渡ります。滝野川・板橋を経て、府中六所明神へ向かい、さらにそこから鎌倉を目指します。そして鎌倉の大倉に本拠を築いた頼朝は、後に鎌倉幕府 初代将軍として、その場所に政権を樹立することになるのです。
 この途次(とじ)の十月、源頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれています。松橋とは、当時の金剛寺の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切り立って、松や楓があり、深山幽谷(しんざんゆうこく)の趣をもっていました。弁財天を信仰した頼朝は、崖下の洞窟の中に祀られていた弘法大師作と伝えられる弁財天に祈願して、金剛寺の寺域に弁天堂を建立し、田地を寄進したと伝えられています。
 この地域は、弁天の滝や紅葉の名所として知られていました。現在、金剛寺が紅葉寺とも呼ばれるところに、この頃の名残がみられます。


弁天堂


山門


山門前の石塔








◆松橋弁財天洞窟跡

下記、音無もみじ緑地内にあった。



 もともとこの辺りは、石神井川が蛇行して流れていた場所でした。左の絵は、『江戸名所図会』に描かれた「松橋弁財天窟(まつはしべんざいてんいわや) 石神井川」ですが、ここでは「この地は石神井河の流れに臨み、自然の山水あり。両岸高く桜楓の二樹枝を交へ、春秋ともにながめあるの一勝地なり。」とこの辺りの景色を紹介しており、春の桜、秋の紅葉、殊に紅葉の名所として知られていたことがわかります。画面を見ると、岩屋の前に鳥居があり、その横に松橋が描かれています。水遊びをする人や茶店も描かれ、行楽客が景色などを楽しんでいる様子が見て取れます。
 崖下の岩屋の中には、弘法大師 の作と伝えられる弁財天像がまつられていました。このため松橋弁財天は岩屋弁天とも呼ばれていました。『新編武蔵風土記稿』によると、この弁財天に源頼朝が太刀一振を奉納したと伝えられていますが、すでに太刀も弁財天像も失われています。
 また、現在都営住宅が建っている付近の崖に滝があり、弁天の滝と呼ばれていました。旧滝野川村付近には滝が多く、夏にこの辺りの滝で水遊びをして涼をとることが江戸っ子の格好の避暑となっていて、こうした様子は広重の『名所江戸百景』や『東都名所』をはじめ多くの錦絵に描かれました。松橋弁財天の辺りは四季を通して多くの人で賑っていたのです。
 滝は昭和初期には枯れていたようですが、像を納めていた岩屋は、昭和五十年(1975)前後に石神井川の護岸工事が行われるまで残っていました。金剛寺境内をはじめ、区内には松橋弁財天へ行くための道標がいくつか残っており、当時の名所であったことをうかがわせます。








◆音無もみじ緑地




憩いの水辺

 石神井川は東京都小平市にその源を発し、北区堀船三丁目で隅田川に注ぐ、延長約25.2km流域面積61.6平方kmの一級河川です。
 このモニュメントは「憩いの水辺」をテーマにした整備を記念して、建てたものです。


武蔵野の路 石神井川コース

石神井川コースの概要
 このコースは練馬区石神井川長光寺橋から荒川の江北橋までの、主に石神井川に沿った約16.7kmのコースです。
 市街地のなかの水と緑を楽しめるコースで、周辺には豊島園、城北中央公園等の都市型大型レクリエーション施設や板橋、飛鳥山公園、名主の滝、旧古河庭園等の名所、旧跡があります。

王子七滝
 王子七滝とは、その昔、 石神井川およびその用水にかかっていた滝で、 弁天、不動、権現、稲荷、 大エ、見晴らし、および名主の七つの滝のことをいいます。
 王子七滝は名主の滝公園にあるもの以外はすでに現存していませんが、ここからすぐ下流にある音無親水公園には、“権現の滝”をイメージした滝があります。

武蔵野の路
 武蔵野の路は、各地域の自然,歷歴史、文にふれながら、東京を周回する全長270kmの散策路です。
 東京湾を臨む海の路や、 河川沿いに延びる川の路、緑地や湖を巡る森の路、首都圏自然歩道につながる山の路など、それぞれ特色のある21コースが用意してあります。
 これらの路を徒歩や自転車でたどりながら私たちのまち東京の大きさや、変化に富んだ四季の豊かさ、歴史や文化の奥行の深さにふれてください。








滝野川











憲兵の詰所

google mapに載っていなかったらただの倉庫で終わったね・・・・。
『東京第一陸軍造兵廠(とうきょうだいいちりくぐんぞうへいしょう)は、大日本帝国陸軍の陸軍造兵廠のひとつ。略称一造。主に東京都北区十条にあった本部を指す。埼玉県に川越製造所などを置いていた。 』
『第一製造所滝野川工場の憲兵詰所も現存する(北区滝野川4-9)』
東京第一陸軍造兵廠 - Wikipedia


国鉄東北本線貨物支線(須賀線)貨物駅の須賀駅があったとのこと。
須賀駅から軍用貨物線が終点のこの辺りまで通っていたと、書いてあった。

参考
憲兵の詰所(?) 北区滝野川 - 週末は古墳巡り









滝野川住宅



都営で良いのかな?
ちょっと調べただけではわからなかった。







続く。

2021/04/01 王子本町散歩 03 身代地蔵尊/本智院/飛鳥山公園歩道橋/飛鳥山公園/飛鳥山前郵便局/音無橋/松橋

ここでもほぼ都電荒川線沿いに北東へ。



◆身代地蔵尊

下記の本智院門前にいらっしゃった。








◆本智院



大師堂












飛鳥山公園歩道橋

下は本郷通り
都電荒川線も走っている。










飛鳥山公園

何度も来ている公園。
今回は桜の写真撮影のみ。










飛鳥山前郵便局

ポストが!
渋沢栄一ゆかりの地ならではだね。










◆音無橋

下は親水公園になっている。
こちらも何度も来ている場所だ。











◆松橋

下は石神井川










続く。

2021/04/01 王子本町散歩 02 妙行寺/善養寺/西ヶ原四丁目駅/滝野川8号踏み切り/滝野川3丁目33の坂/鶴の湯/滝野川2号踏み切り

ここでもほぼ都電荒川線沿いに北東へ移動。



妙行寺



魚がし供養塔


浄行様


うなぎ供養塔


供養塔


浅野家遥泉院供養塔


お岩様の墓



 お岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くな ったのが寛永十三年二月二十二日であり爾来、田宮家ではいろいろと 「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺 四代日遵上人の法筆経の功徳により 一切の因縁が取り除かれた。
 この寺も当時四谷にあったが、明治四十二年に現在地に移転した。
 お岩様に塔婆を捧げ、 熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。


山門








◆善養寺



 善養寺は、天長年間(824~833)に開基である慈覚大師が上野山内に創立したと伝えられる天台宗の寺院で、正式には薬王山延寿院善養寺という。東叡山寛永寺の末寺で、本尊は薬師如来像である。
 江戸時代の寛文年間(1661~72)に下谷坂本(後の下谷区善養寺町、元台東区上野公園)に移転した後、境内地が鉄道用地の拡張にかかるといいうことで、明治四十五年に北豊島郡巣鴨村大字巣鴨字庚申塚347番地(現在地)へ移転し、現在に至っている。
 本堂には高さ約3メートルの木造閻魔王坐像(豊島区登録有形文化財)が鎮座し、広く信仰を集めていることから「おえんまさまの寺」とも呼ばれ、また、杉並区松ノ木3丁目に所在する華徳院、新宿区新宿2丁目に所在する太宗寺とともに、江戸三閻魔の一つとしても親しまれてきた。
 境内には、寛永六年(1629)造立の石燈籠をはじめ、延宝八年(1788)の宝篋印塔、また江戸時代中期に陶工・絵師として活躍した尾形乾山の墓(東京都指定旧跡)やフランスでジュリオ・キュリー教授(キュリー夫人の娘婿)の指導を受けた原子物理学者湯浅年子の墓など、多くの貴重な文化財が残されている。


華徳院は杉並区にあるのに行ったことがないので、「行きたい場所」に追加。
太宗寺は行ったことがある。
2016/11/12 part3 太宗寺(新宿ミニ博物館) - ovanの社会科見学









◆西ヶ原四丁目駅









滝野川8号踏み切り










滝野川3丁目33の坂



先客








◆鶴の湯

銭湯♪









滝野川2号踏み切り











続く。

2021/04/01 王子本町散歩 01 西巣鴨/正法院/西方寺/盛雲寺/滝野川11号踏み切り/お岩通り商店街/滝野川10号踏み切り

24時間勤務アケで、都営三田線西巣鴨駅からJR王子駅まで散歩。



西巣鴨駅から都電荒川線沿いに北東へ移動。



◆西巣鴨

スタートの都営三田線西巣鴨駅









◆正法院

中へは入れなかったので外からお参り。
以前も来たことがあるが、やっぱり入れなかった。
2018/09/11 王子散歩 01 西巣鴨/河合映画巣鴨撮影所跡/正法院/西方寺/盛雲寺/滝野川11号踏切/お岩通り商店会 - ovanの社会科見学








◆西方寺



お掃除をしていらっしゃったので外からお参り。
こちらも以前来たことがある。
その時は中に入ってお参りしている。
2018/09/11 王子散歩 01 西巣鴨/河合映画巣鴨撮影所跡/正法院/西方寺/盛雲寺/滝野川11号踏切/お岩通り商店会 - ovanの社会科見学







◆盛雲寺

こちらも以前来たことがある。
2018/09/11 王子散歩 01 西巣鴨/河合映画巣鴨撮影所跡/正法院/西方寺/盛雲寺/滝野川11号踏切/お岩通り商店会 - ovanの社会科見学








滝野川11号踏み切り

こちらも以前来たことがある。
2018/09/11 王子散歩 01 西巣鴨/河合映画巣鴨撮影所跡/正法院/西方寺/盛雲寺/滝野川11号踏切/お岩通り商店会 - ovanの社会科見学









お岩通り商店街

同じくこちらも以前来たことがある。
2018/09/11 王子散歩 01 西巣鴨/河合映画巣鴨撮影所跡/正法院/西方寺/盛雲寺/滝野川11号踏切/お岩通り商店会 - ovanの社会科見学








滝野川10号踏み切り












続く。

2021/03/30 北区豊島散歩 09 神谷ポンプ所/東京都交通局北自動車営業所/北清掃工場/赤羽発電所跡/志茂東公園/志茂駅

北本通りを北上しゴールの東京メトロ志茂駅へ。



◆神谷ポンプ所



神谷ポンプ所は、北区赤羽南、志茂、神谷地区の雨水を排除するために建設されました。このポンプ所は降り始め農水を、神谷幹線と地下40mにある貯留池に溜めて、晴れた日に「みやぎ水再生センター」に送り処理します。なお、貯留量を超えた雨水は墨田川へ放流する施設です。







東京都交通局北自動車営業所







◆北清掃工場







◆赤羽発電所



 鉄道省は、電車運行の給電能力を高めるため、赤羽発電所大正九年 (1920)に起工し、大正十二年二月一日から運転を開始しました。現在の北清掃工場のあたりに発電所が位置し、志茂東公園は水路部分にあたります。荒川から水路で水を引き込み、石炭ボイラーで高圧蒸気に換え発電を行う火力発電所です。 敷地面積は5500坪、二本の大きな煙突が印象的な施設でした。当初 は6000キロワットのタービン二台でしたが、大正十四年十一月に一台増設し、設備容量18000キロワットの発電所として稼働しました。 昭和五年(1930)さらに大規模な川崎発電所の運転が開始され、その 後、新潟県千手水力発電所等も運用されると、赤羽発電所は、渇水時等の 補給発電所として運用されました。昭和三十三年十一月に廃止され、北清掃工場(昭和四十三年完成)が赤羽発電所跡地につくられました。







◆志茂東公園









志茂駅

ゴールの東京メトロ志茂駅







公園が多く、勾配が少ないので散歩しやすいエリアだった。
石神井川沿いの道が分かりづらく、行ったり来たりした。
気温がだいぶ高くて冬スーツじゃ暑いね。
今度から夏スーツに変えよう・・・。

2021/03/30 北区豊島散歩 08 柏木神社/祠/藤の湯/大日本印刷王子工場/赤羽稲荷大明神/赤羽警察署

北本通り西側の細い路地を北上。
赤羽警察署のところで北本通りへ出る。




◆柏木神社


稲荷社



サクラ










◆祠

何が祀られているのかはわからなかった。










◆藤の湯

銭湯♪









大日本印刷王子工場









◆赤羽稲荷大明神

工事中の柵の向こうだと思われ・・・・。


地図を見るとたしかにここであっているのだが・・・。
無くなってしまったか、移転してしまったのであろう。









◆赤羽警察署







続く。