ここでもほぼ都電荒川線沿いに北東へ移動。
◆妙行寺
お岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くな ったのが寛永十三年二月二十二日であり爾来、田宮家ではいろいろと 「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺 四代日遵上人の法筆経の功徳により 一切の因縁が取り除かれた。
この寺も当時四谷にあったが、明治四十二年に現在地に移転した。
お岩様に塔婆を捧げ、 熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。
善養寺は、天長年間(824~833)に開基である慈覚大師が上野山内に創立したと伝えられる天台宗の寺院で、正式には薬王山延寿院善養寺という。東叡山寛永寺の末寺で、本尊は薬師如来像である。
江戸時代の寛文年間(1661~72)に下谷坂本(後の下谷区善養寺町、元台東区上野公園)に移転した後、境内地が鉄道用地の拡張にかかるといいうことで、明治四十五年に北豊島郡巣鴨村大字巣鴨字庚申塚347番地(現在地)へ移転し、現在に至っている。
本堂には高さ約3メートルの木造閻魔王坐像(豊島区登録有形文化財)が鎮座し、広く信仰を集めていることから「おえんまさまの寺」とも呼ばれ、また、杉並区松ノ木3丁目に所在する華徳院、新宿区新宿2丁目に所在する太宗寺とともに、江戸三閻魔の一つとしても親しまれてきた。
境内には、寛永六年(1629)造立の石燈籠をはじめ、延宝八年(1788)の宝篋印塔、また江戸時代中期に陶工・絵師として活躍した尾形乾山の墓(東京都指定旧跡)やフランスでジュリオ・キュリー教授(キュリー夫人の娘婿)の指導を受けた原子物理学者湯浅年子の墓など、多くの貴重な文化財が残されている。
華徳院は杉並区にあるのに行ったことがないので、「行きたい場所」に追加。
太宗寺は行ったことがある。
2016/11/12 part3 太宗寺(新宿ミニ博物館) - ovanの社会科見学
◆滝野川8号踏み切り
◆滝野川3丁目33の坂
◆滝野川2号踏み切り
続く。