◆紅葉橋
下は石神井川。
◆金剛寺
源頼朝の布陣伝承地
治承(じしょう)四年(1180)八月、源義朝 の三男頼朝は、配流先の伊豆国で兵を挙げました。初戦に勝利するも石橋山の合戦で破れて阿波国に逃れ、そこから上総国・下総国の諸将を味方につけ、隅田川を渡ります。滝野川・板橋を経て、府中六所明神へ向かい、さらにそこから鎌倉を目指します。そして鎌倉の大倉に本拠を築いた頼朝は、後に鎌倉幕府 初代将軍として、その場所に政権を樹立することになるのです。
この途次(とじ)の十月、源頼朝は軍勢を率いて滝野川の松橋に陣をとったといわれています。松橋とは、当時の金剛寺の寺域を中心とする地名で、ここから見る石神井川の流域は、両岸に岩が切り立って、松や楓があり、深山幽谷(しんざんゆうこく)の趣をもっていました。弁財天を信仰した頼朝は、崖下の洞窟の中に祀られていた弘法大師作と伝えられる弁財天に祈願して、金剛寺の寺域に弁天堂を建立し、田地を寄進したと伝えられています。
この地域は、弁天の滝や紅葉の名所として知られていました。現在、金剛寺が紅葉寺とも呼ばれるところに、この頃の名残がみられます。
もともとこの辺りは、石神井川が蛇行して流れていた場所でした。左の絵は、『江戸名所図会』に描かれた「松橋弁財天窟(まつはしべんざいてんいわや) 石神井川」ですが、ここでは「この地は石神井河の流れに臨み、自然の山水あり。両岸高く桜楓の二樹枝を交へ、春秋ともにながめあるの一勝地なり。」とこの辺りの景色を紹介しており、春の桜、秋の紅葉、殊に紅葉の名所として知られていたことがわかります。画面を見ると、岩屋の前に鳥居があり、その横に松橋が描かれています。水遊びをする人や茶店も描かれ、行楽客が景色などを楽しんでいる様子が見て取れます。
崖下の岩屋の中には、弘法大師 の作と伝えられる弁財天像がまつられていました。このため松橋弁財天は岩屋弁天とも呼ばれていました。『新編武蔵風土記稿』によると、この弁財天に源頼朝が太刀一振を奉納したと伝えられていますが、すでに太刀も弁財天像も失われています。
また、現在都営住宅が建っている付近の崖に滝があり、弁天の滝と呼ばれていました。旧滝野川村付近には滝が多く、夏にこの辺りの滝で水遊びをして涼をとることが江戸っ子の格好の避暑となっていて、こうした様子は広重の『名所江戸百景』や『東都名所』をはじめ多くの錦絵に描かれました。松橋弁財天の辺りは四季を通して多くの人で賑っていたのです。
滝は昭和初期には枯れていたようですが、像を納めていた岩屋は、昭和五十年(1975)前後に石神井川の護岸工事が行われるまで残っていました。金剛寺境内をはじめ、区内には松橋弁財天へ行くための道標がいくつか残っており、当時の名所であったことをうかがわせます。
憩いの水辺
石神井川は東京都小平市にその源を発し、北区堀船三丁目で隅田川に注ぐ、延長約25.2km流域面積61.6平方kmの一級河川です。
このモニュメントは「憩いの水辺」をテーマにした整備を記念して、建てたものです。
武蔵野の路 石神井川コース
石神井川コースの概要
このコースは練馬区内石神井川長光寺橋から荒川の江北橋までの、主に石神井川に沿った約16.7kmのコースです。
市街地のなかの水と緑を楽しめるコースで、周辺には豊島園、城北中央公園等の都市型大型レクリエーション施設や板橋、飛鳥山公園、名主の滝、旧古河庭園等の名所、旧跡があります。
王子七滝
王子七滝とは、その昔、 石神井川およびその用水にかかっていた滝で、 弁天、不動、権現、稲荷、 大エ、見晴らし、および名主の七つの滝のことをいいます。
王子七滝は名主の滝公園にあるもの以外はすでに現存していませんが、ここからすぐ下流にある音無親水公園には、“権現の滝”をイメージした滝があります。
武蔵野の路
武蔵野の路は、各地域の自然,歷歴史、文にふれながら、東京を周回する全長270kmの散策路です。
東京湾を臨む海の路や、 河川沿いに延びる川の路、緑地や湖を巡る森の路、首都圏自然歩道につながる山の路など、それぞれ特色のある21コースが用意してあります。
これらの路を徒歩や自転車でたどりながら私たちのまち東京の大きさや、変化に富んだ四季の豊かさ、歴史や文化の奥行の深さにふれてください。
◆滝野川橋
◆憲兵の詰所
google mapに載っていなかったらただの倉庫で終わったね・・・・。
『東京第一陸軍造兵廠(とうきょうだいいちりくぐんぞうへいしょう)は、大日本帝国陸軍の陸軍造兵廠のひとつ。略称一造。主に東京都北区十条にあった本部を指す。埼玉県に川越製造所などを置いていた。 』
『第一製造所滝野川工場の憲兵詰所も現存する(北区滝野川4-9)』
東京第一陸軍造兵廠 - Wikipedia
国鉄東北本線貨物支線(須賀線)貨物駅の須賀駅があったとのこと。
須賀駅から軍用貨物線が終点のこの辺りまで通っていたと、書いてあった。
◆滝野川住宅
続く。