2024/01/14 昭島市郷土資料室





アキシマエンシスという建物の中に昭島市郷土資料室があった。
昭島市の遺跡の紹介や、発掘されたものなどが展示されていた。
アキシマクジラについてはかなり力が入っていた。
アキシマクジラは昭島市で発掘されたクジラで新種であるとのこと。
詳しくはこちらのページに載っていた。
アキシマクジラ|昭島市




入口が分かりづらくて迷ってしまった。
あまり広くなく、展示物も少なかったが、綺麗で、よくまとめられた施設だった。




昭島市デザインマンホール

このクジラさんは「アキシマクジラ」なんだろうね。





アキシマエンシスのHPはコチラ
アキシマエンシス




昭島市郷土資料室のHPはコチラ
郷土資料室|昭島市




休館日
月曜日(祝日の場合は翌平日)
年末年始
とありましたが、行かれる方は事前にHPなど確認してから行ってくださいネ!




場所はコチラ





HPはコチラ
https://www.city.akishima.lg.jp/map/010/030/060/20150611104206.html


閉室日
月曜日(祝日の場合は翌平日)
年末年始
とありましたが、行かれる方は事前にHPなど確認してから行ってくださいネ!






地図はコチラ

2024/01/14 モリパーク


モリタウンとは、東京都昭島市にある大型ショッピングモールで、1984年4月に開設された[3]。昭和飛行機都市開発株式会社(2020年10月に昭和飛行機工業株式会社より分社)が管理・運営する昭島駅北口エリア「東京・昭島 モリパーク」(旧エリア名称「昭島 昭和の森」)[5]の一角に存在し、イトーヨーカドースポーツ用品店、映画館をはじめとする専門店で成り立っており、年間約1000万人が訪れる。
またモリタウンの北西にあった飛行機製造工場の跡地に、2015年にモリパーク アウトドアヴィレッジがオープンしている[7]。管理・運営はモリタウンと同じ昭和の森綜合サービス株式会社で、駐車場も共通となっている。 』
モリタウン - Wikipedia


HPがあった。
モリパーク公式ウェブサイト











◆蛇籠(じゃかご)の塀




このエントランスの塀は、蛇籠という金網の中に石を詰めたものです。 詰めてある石は、昭和飛行機工業株式会社の旧本館と飛行機製造工場を2014年に解体した際に発生した基礎部分のコンクリートを砕いたものを使っています。
1937年の創業以来、 77年間にわたり建物を支えていたコンクリートです。





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2024/01/14 市民会館公園








昭島市史跡案内図







◆アキシマクジラの由来碑



アキシマクジラの由来
 昭和三十六年八月 多摩川の国八高線鉄橋下流約三十六メートルの地点からクジラの化石が突屈されました。
 第三紀鮮新世(百万年から千八百万年前)の中が岩層より産出したものでこの時代のクジラの金具格がほぼ完全な形で穴掘されたのは、世界でもはじめてです。
 クジラの全長は約十五メートルもあり、クジラの仲間で現存するコククジラに類似していますが、全く同じものが生存していないところから、日本古生物学会において和名をアキシャクジラと命名されました。
 昭和五十七年七月、市民会館建設を機に、市のほぼ中央準を建立して、永く記憶にとどめるものです。







◆「天女の笛」北村西望

天女の笛に●す
耳をスマすとどこからともなく
何とも言えない音がきこえることがある
●●は●●言う
天女の笛ではあるまいか

●の部分は読めなかった。







昭島市民会館



昭島市民会館の壁にはアキシマクジラが描かれていた。








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2024/01/14 玉川上水滑走路延長跡


『戦時中、上水の南側にあった飛行場の滑走路を延長するため、上水に蓋をした名残』とのこと。
参考
第8話|玉川上水今むかし|交流の広場|武陽ガス株式会社











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2024/01/14 松中橋











◆砂川用水



砂川用水の由来
 砂川用水は、明暦三年(1657)幕府財政再建の一環として武蔵野新田開発のため玉川上水から分水され、松中橋から上水と平行に東上し、天王橋から五日市街道に沿って開通された。
 残堀川の旧水路が五日市街道と交差する付近(三、四番)の小集落に過ぎなかった砂川新田(村)は、砂川用水の開通により現在のように五日市街道に沿って計画的に耕地が開発出来るようになった。
「砂川の歴史による」






玉川上水 (国史跡)

江戸時代のはじめ、 多摩川の水を飲料水として江戸市中に供給する目的で開削された上水路です。羽村の取水口から四ツ谷(新宿区)に至るその開削は、幕府の命によって玉川兄弟が請負い、 承応3年(1654年)に完成、以後、 今日に至るまで江戸・東京の主要上水として機能しています。
一方、この水は、水の乏しい台地上の村々にも多くの分水を通じて供給され、 人々の農耕生活に重要な役割りを果たしてきました。 しかし、その使用に際しては幕府の許可が必要で、また種々の制限も加えられ、人々はこれを自由に使うことはできませんでした。
この地から分流する砂川分水は明暦3年(1657年)の開通、 柴崎分水は元文2年(1737年)の開通で、それぞれ砂川新田・柴崎村(現立川市)の人々に永い間、生活・農業用水として利用されてきたものです。






◆美堀橋から松中橋





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2024/01/14 林泉寺






林泉寺
 林泉寺臨済宗建長寺派の禅寺である。江戸時代の新田開発発に伴い此の地に建立されたものであろう。 享保十八年(1734)の事とされるが詳細は不明である。開山様は、 中巌玄里和尚 御本尊様は阿弥陀如来である。
 明治末期に本堂消失 昭和十年(1935)に再建された伽藍も昭和二十年(1945)八月一日の空襲で烏有に帰した。再度の火災に耐えたのは 本堂脇に建つ大日堂のみであった。爾来五十年近く此の大日堂が林泉寺の本堂となり 此の間 本堂再建は 檀信徒の悲願であり続けた。
 夜が昭和から平成へと移らんとする時 再建事業が具体化。檀信徒 世話人 建設委員会など多くの方々の尽力に依り遂に竣工した。
 平成五年(1993)十月二日 本堂 客殿 庫裡 落慶法要が盛大裡に巌修され無事圓成した。





◆大日堂





◆石仏





六地蔵


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◆山門






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