2020/07/11 北品川散歩 08 昭和橋/聖蹟公園/枚方宿の街道松/天神湯/品川区立品川図書館/子育地蔵

昭和橋からは北西に移動。
旧東海道まで戻って少し西へ抜ける。



◆昭和橋

下は目黒川。









聖蹟公園



史跡がたくさん・・・・。



史跡の案内板



東海道品川宿本陣跡

 品川宿は、江戸四宿の一つで、東海道五十三次の第一番目の宿駅として発達した。
 ここはその本陣跡であり、 品川三宿の中央に位置していた。 東海道を行き来する参勤交代の諸大名や、公家・門跡などの宿泊・休息所として大いににぎわったところである。明治五年(1872)の宿駅制度廃止後は、警視庁病院などに利用された。
 現在、跡地は公園となり、明治元年(1868)に明治天皇行幸の際の行在所となったことに因み、聖蹟公園と命名されている。


聖徳の碑

ほとんど判読できず文字化を断念。
東京市品川聖蹟公園開設までの明治天皇品川聖蹟保存会の活動について記録した碑』
と、上の写真「史跡の案内板」にあった。


聖蹟

こちらも文字化を断念。
明治天皇の行在所になった品川宿本陣跡が昭和十三年(1938)に東京市の公園となったのを機に設置された碑である。』
と、上の写真「史跡の案内板」にあった。


石井鉄太郎氏胸像

「石井鉄太郎」で調べてみたが、情報が乏しい・・・。
『常に住民の福祉増進と社会福祉の向上に尽くし、昭和五十年に社会福祉国労を検証し名誉区民となった』
と、上の写真「史跡の案内板」にあった。



夜明けの像

『昭和二十四年に二宮尊徳像が建立さられたが、昭和四十二年に石井鉄太郎によって、現在の子どもたちが親しみやすい像ということであらためて新聞少年の像が贈られた。』
と、上の写真「史跡の案内板」にあった。







枚方宿の街道松



 この松は、東海道五十六番目の宿場町、技方宿の文化親光協会、大西信駛さん、万野芳雄さんから寄贈されたものです。
 枝方宿の皆さんは、東海道を大阪まての全五十七次ととらえ、その友好と発展のために熱心に活動されています。
 この松は、両宿の友好のシンボルとして末長く地域の方々と共に大切に育ててまいります。なお、この松の植樹にあたっては、「クルーセKS」曽根田浜一様のご理解とご尽力をいただきました。
 品川宿にはこの他にも、東港道の宿場町から同様の趣旨で寄贈された街道松が植えられています







◆天神湯

銭湯♪







◆品川区立品川図書館







◆子育地蔵



 京急新馬場駅北口から「サクセス品川」を歩き、「味丸ラーメン」を右折して路地を進むと子育地蔵のお堂がある。
 この地蔵が建てられたのは大正10年7月。目黒川が改修される以前にできた地蔵で、当時の目黒川はこの地蔵の場所からすぐ後ろを流れていた。
 改修前の目黒川は台風が来るたびに水があふれて氾濫していたが、その際この場所で子どもが川でおぼれて亡くなってしまった。
 この地蔵はこの子を哀れんだ当時の北馬場町会の有志が供養として建立したものだお堂の奉納額には、当時の北品川宿に軒を連ねていた店の
屋号がいくつも刻まれている。
 額の中には金子又七さんという人の名前がある。この方は現在の北品川二丁目町会会長の金子正秀さんのおじいさん。金子会長によれば大の子ども好きで、この地蔵を建立した有志の一人だったそうだ。
 やがて目黒川は改修されて現在の流れとなったが、子育地蔵は当時と変わらずそのままの場所で安置されている。








続く。